通常グレード
スタリオンは三菱が普通車部門で最後に開発した後輪駆動車である。
1982年5月14日、発売。キャッチコピーは「ヘラクレスの愛馬、アリオンが今、星になって帰ってきた」。車名の由来も「Star+Arion」である。
(注)*決して種馬の方のスタリオン(Stallion)ではないです。注意してください*。
最後のFRモデルだったギャランをベースに、代を通して搭載されたエンジンにはいずれも直4・OHCで2リッターのG63Bと2.6リッターのG54Bが用意されていた。当時の三菱自工が提唱した「フルラインターボ」のフラッグシップ的なポジションにあったことから、ターボ搭載車をメインにラインナップが展開されたが、発売当初は2リッターNAエンジン搭載車の2000GXも用意された。
欧州市場では主に2リッター車(G63Bバージョン)が、北米市場では2.6リッター車(G54Bバージョン)が輸出されている。豪州市場では「4G63(=こちらの表記でG63Bに該当するが、MCA-JET仕様ではない)」を搭載したモデルが輸出されていた。
最終的には国内向け仕様は1984年に追加された2000GSR-Vをベースに、ブリスターフェンダーのワイドボディ車を1987年にテスト的な50台の限定販売をし、北米仕様の「ダッジ・コンクエスト」を右ハンドル化する形で、翌1988年に2600GSR-VR(メインイラストを参照)の1グレードのみ販売に切リ替えられた。
同時期に出てモデル末期で不人気だったいすゞ ピアッツァ・ハンドリングbyロータスと共に、「白鳥の歌」的な最後の花道を謳歌し8年の生涯を終えた…。
また、1983年公開の映画「キャノンボール2」や1989~90年放送のTVドラマ「ゴリラ・警視庁捜査第8班」に出演し、このうち2600GSR-VRをベースにガルウイングドアを装備したゴリラ仕様のスタリオンは5台限定で販売された。
モータースポーツ
Gr.AとGr.Nで大活躍。アメリカではそのタフネスさから耐久レースで一躍有名となり、実際に1984から87年までのLongest Day of Nelson Ledgesを制するなど、数々の勝利を収めた。
スタリオン4WDラリー
1983年、三菱はスタリオンをベースとしたスタリオン4WDラリーを東京モーターショーに出品。最高出力はなんと360ps、最大トルクは32.0kg-mだったという。
このように、通常版はリトラクタブルライトだったフロントマスクが取り払われ、丸形のヘッドランプを取り付けていた。当時最強と言われていたアウディクワトロを上回るコーナリングスピードを見せつけ、かなり期待のできる車だった。しかしながら、開発が難航し、予算もかさみ、結局は開発途中でプロジェクト中断となってしまった。因みに、1984年に行われたミルピステラリーではエクスペリメンタルクラスでクラス優勝を飾っており、いかに高性能だったかが分かる。試作車輌は5台で、生産台数も5台、つまり試作車5台のみである。現存車輌は3台おり、その中で香港-北京ラリーを走った個体が現存していることも判明した。日本には2台がおり、残る一台はイギリスに。岡崎工場には市販車仕様のレプリカが一台展示されている。スタリオン4WDは「SS」にも登場している。
ちなみに
現存していない車輌にはこのような話が残っている。
それは、廃棄処分作業の時。プレス機に挟まれたスタリオンはどんどん押しつぶされていった。もはや原型が何だったのか分からない鉄の塊になってしまったプレスの最終段階でそのスタリオンは油脂類を抜いており消火剤をかけていたにもかかわらず火を噴いた。かつて、プレス作業で火を噴いた車は一台もいなかったという。逸話?いいえJをつけ忘れてます。実話です。
ゲームにおけるスタリオン
首都高バトル
サイレントバーバリアンや灼熱の嵐が駆るマシンとして登場している。ちなみにA187型。2Lモデルは収録されていない。
グランツーリスモ
通常版は登場しないのになぜかスタリオン4WDが登場している。どうしてこうなった。
街道バトル
通常版、4WDともに登場。とくに4WDはボス「SSの中年」のマシンとして登場する。なお、街道バトル2において彼の駆るマシンは546psなのに対し、ディーラーモデルは350psであるうえ、チューンできない。ライバル専用車…なのか?これまた2だが、フォーエバーナイツを倒した後の月の毎月2週目に中古車ディーラーに行くとスタリオン4WDが売っている。しかも、新車は黒のみなのに対して、中古車は水色、ピンク、黄色、青紫などのさまざまな色が含まれている。