概要
発売は1980年。
最大の特徴は、所謂スポーツカーでありながらフルタイム4WDを採用した点である。
今日でこそ珍しくないパッケージングであるが、当時の4WDは技術的問題により曲がりにくかったことから、本格RVのようなオフロード車にしか採用されず、スポーツカーは専らFRもしくはMRが主流であった。
クワトロは、独自開発のセンターデフを装備する事でその曲がりにくさを解決。
この構造はメーカー問わず自動車そのものの設計思想に多大な影響を与え、以降誕生するスポーツカーが4WDを積極的に採用する契機となった。
現在まで生まれてきた高性能4WD車たちは、全てクワトロの影響下にあると言っても過言ではない。
更に、後述するWRC(ラリー)での活躍から、ラリーカーの主力が4WDに移行するきっかけにもなった。
尚、クワトロという名前は、その後アウディの4WDシステム又はグレードとして受け継がれた。
何を意味するかは言うまでもないだろう。
WRC
発売翌年の1981年にはWRCに参戦。
グループ4(後のグループB)規格に合致させて投入した。
デビュー戦となったラリー・モンテカルロではハンヌ・ミッコラが2位以下を6分以上も引き離す圧倒的性能を見せつけ、最終的にはリタイアに終わったものの、その速さはライバルに衝撃を与えた、翌第2戦のスウェディッシュ・ラリーではハンヌ・ミッコラがシーズン初優勝を果たし、同年のサンレモ・ラリーでもミシェル・ムートンが優勝を果たす。これは女性ラリードライバー初の優勝でもあった。
第2戦スウェディッシュ・ラリーではスティグ・ブロンクビストが優勝をもぎ取り、以降は散発的に勝利を重ね、1982年にはマニファクチャラーズタイトルを獲得。
1983年にはミッコラがドライバーズタイトルを獲得している。
ただし、4WDが必ずしも有力というわけではなく、ターマック(舗装路)では回頭性に優れるMR勢に勝ち目があり、クワトロの優位性は絶対ではなかった。
4WDをラリーで扱うノウハウも当時は無く、アウディ技術陣は相次ぐ故障に悩まされたという。
スポーツクワトロ
1983年後半には、改良版であるスポーツクワトロを発売。
これはグループBのホモロゲーションのために開発されたもので、実際に214台が販売された。
ボディはワイドトレッド化され、ホイールベースはクワトロから約30cmも短縮された。
そのため、横から見ると全長に対し前後のオーバーハングが非常に長い。
当然エンジンもパワーアップし、軽量化も図られた。
WRCでは1984年にスティグ・ブロンクビストが5勝し、ドライバーズタイトルを獲得する活躍を見せた。
スポーツクワトロS1
1985年に、スポーツクワトロのエボリューションモデル(発展型)として登場したラリーカー。
ホモロゲーションはスポーツクワトロの扱いなので、市販車仕様は存在しない。
この頃になるとクワトロの活躍を前にライバルも黙ってはおらず、プジョーが4WDマシンの205ターボ16を投入してきたため、その対抗馬として開発された。
セミAT化やミスファイアリングシステムの装備、水冷ブレーキなど冷却系の強化を受け、更にボディは大柄なエアロパーツで武装。
まるで族車のようなけばけばしい見た目になった。
こうして戦闘力を格段に上げたものの、そもそもフロントエンジンのクワトロは後発のミッドシップエンジン勢に対し回頭性で劣っており、かつてのような競争力を発揮することは出来ず苦戦が続いた。
終盤はプジョーとランチアの熾烈なタイトル争いに割って入ることも無くなり、1986年のグループBの消滅と共にWRCでの役目を終えた。
残されたクワトロはパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムやラリークロス等に転戦し、特にパイクスピークでは優秀な成績を飾った。
グランツーリスモでは最新作のGT7でこのスポーツクワトロのエンジンをフォルクスワーゲン・初代ゴルフに載せる事が可能となっている。