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DKW

でーかーうぇー

 DKWはかつて存在していたドイツの自動車とオートバイ製造企業でアウディのルーツの一つでもある。

概要編集

 DKWとはかつて存在していたドイツの歴史的な自動車とオートバイ製造企業である。1906年創業の機械メーカーでオートバイの製造を始めたのは第一次世界大戦後の1921年からと、ドイツでは後発のオートバイ・自動車メーカーでありながら1920から30年代に得意技術である2ストロークエンジンを活かして急成長を遂げ、1932年のドイツ国内民族メーカー4社合同によるアウトウニオン設立の中核企業となった。「DKW」ブランドは1966年までアウトウニオンの大衆車ブランドで用いられ、そのモデルは以後のアウディ車の母体となった。


 社名のDKWはもともと「蒸気自動車」を意味するドイツ語: Dampf Kraft Wagenの頭文字からで、第一次世界大戦中にまで起源をさかのぼるが、その後は語呂合わせでDes Knaben Wunch(若人の夢)やDas Kleine Wunder(小さな奇跡)などの頭文字をとった時期もあったものの、1930年代以降は特段の意味は持たない名称となった。


 1928年から生産を始めた自動車に関しても先進的で、特に1931年に開発された「DKW F1」は、500ccのミニカーであったが、量産型大衆車としては世界で初めての本格的な前輪駆動車であり、自動車の歴史に重要な足跡を残した存在である。「F1」とその改良型は当時のドイツで大きな商業的成功を収めた。(ちなみにDKW社は前輪駆動に興味を示していたフランスのシトロエンにも売り込んだが、これは失敗した)


 オートバイの方でも1939年に発売した第二次大戦前DKW最後の民生用オートバイDKW RT125は第二次世界大戦によって一度は生産中止となったが、軽量で機動性の高いことから再生産が決まりドイツ軍の連絡用バイクにも使われ、終戦後、西ドイツと東ドイツに分割された後も改良を重ねて、西ドイツでは1958年、東ドイツではMZと会社名が代わり、別会社となりながら1965年まで生産された。さらに敗戦によってライセンスが消された為、アメリカのハーレーダビットソンやイギリスのBSA、日本のヤマハやはたまたポーランドやソ連などでもコピー品が生産されており、それらを合わせると500万台以上製造されたことになる大ヒット作となった。

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