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ピアッツァ

ぴあっつぁ

ピアッツァとは、イタリア語で広場という意味。転じて、かつていすゞ自動車が製造・販売を行っていた乗用車の名称のひとつ。
目次 [非表示]

概要

いすゞ自動車が、1981年から1995年にかけて販売を行っていた乗用車。

117クーペの流れを汲むスペシャリティーカーだった。


歴代モデル

初代

1981年6月に登場した。


この車の元ネタとなったのが、スイス・ジュネーブで開かれている見本市のサロン・アンテルナショナル・ド・ロトの1979年度(同年2月に開催)に展示されたアッソ・ディ・フィオーリと言うコンセプトカー。

イタリアのインダストリアルデザイナーであるジョルジェット・ジュジャーロが手掛けたものであった。

これをほぼ同じ形で世に出したのがこの初代だったわけであり、ほとんどスタイルを変えなかった117クーペの量産化アレンジの時同様世界を驚かせた。

いすゞジェミニZZ-R(PF型ほぼ最終型)

ただしプラットホームは初代ジェミニから流用したものではあったが…。


また、ヤナセでも「ピアッツァ・ネロ」の名称で販売されている。また、アメリカ市場でも「いすゞインパルス」という名称で販売されている。


市販されてもデザインは賛否を分け、一時期は「走るマヨネーズ」とも言われた。

パワーも非力気味だったが、1984年にインタークーラーターボを搭載し一気に劣勢を挽回。

また足回りも、オペルの公式チューナー・イルムシャーや抜本的な改造を行ったロータスの手により大幅に改善された。

いすゞピアッツァハンドリングbyロータス三菱スタリオン2600GSR-VR(リメイク版)

モデル末期は不人気ながらも、ハンドリングbyロータスと同時期に出た三菱・スタリオン2600GSR-VRと共に熟成した最後の「白鳥の歌」を謳歌した。


1991年7月に生産終了。販売も翌8月に終了している。


2代目

落書き333

1991年8月に登場。

このモデルは、3代目ジェミニのプラットホームを使ったものであった。また、開発にはイギリスロータスが一枚噛んでいた。


いすゞ自動車の乗用車の自主開発・生産断念のあおりを受ける形で1994年12月に生産を終了、翌1995年1月限りで販売も終了した。

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