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いすゞ自動車が生産販売していた小型乗用車。

概要


車名の由来は同社の上級モデルであるベレルの小型版を意味する造語。

手堅く平凡な設計のベレルと異なり、当時の様々な新機軸が取り入れられており、個性の強い小型乗用車となっている。ことスポーツモデルにおいては日本初のディスクブレーキを採用している。また、四輪独立懸架による路面追従性の良さと鋭いハンドリングとを兼ね備えていたこともあり、当時の日本車では破格の運動性能を持っており、「和製アルファ・ロメオ」との異名もとった。

なお、日本で初めてGT(グランツーリスモ)を名乗ったモデルを設定したが、多くのいすゞ車の例に漏れず、他社の新車攻勢下において市場の期待に応える抜本改良がなされないまま長期生産が続いた。このため1970年代に入ると販売実績が低迷し、後の自動車排出ガス規制の影響で1973年に生産終了となる。総生産台数は170,737台(いすゞ公式ウェブサイトより)。うちGTは17,439台。GTにおけるレースシーンでの活躍からクーペの印象が強いが、本来ファミリーカーとして想定されていた車種のため、販売の主力はセダンであった。このGTについては現在でも評価が高く、現在でも維持管理している愛好家も多く、オーナーズクラブも存在する。


機構


駆動方式は後輪駆動。エンジンはガソリンエンジン車は1300cc、1500cc、1600cc 、1800ccで、OHV、SOHC、DOHCの各種グレードが設定されていた。他に1800ccディーゼルエンジンモデルも存在した。

サスペンションは、国産フロントエンジン式量産車としては早い段階で四輪独立懸架を採用している。前輪はダブルウィッシュボーン、後輪はダイアゴナルスイングアクスルという組み合わせであった。このサスペンション構成はコーナリング時のテールスライドが激しく、ピーキーな運転を好む層には好評だったが、同時に横転しやすい欠点があった。これらの弱点に対し、1966年以降は後輪をリーフリジッドタイプの固定軸とした「タイプB」が追加された。

ステアリングギアボックスは、当時の日本車では例の少ないラックアンドピニオン式で、その応答性の高さが評価された。トランスミッションはエンジンサイズを考慮し、当時の標準仕様よりも1段多い4速MT を基本とするが、1965年には3速ATも設定された。

また、本車種はコラムシフトとフロアシフト 、ベンチシートとバケットシート、ドラムブレーキとディスクブレーキをそれぞれ組み合わせたモデルを用意したワイドセレクションとなっていたのも特徴の一つである。MTのフロアシフト型は各段への収まりが良い操作性の確実さを特長としていた。


歴史


サルーン


1963年6月登場。ヒルマン・ミンクスの後継車として開発された小型乗用車で、当初は丸目2灯の1500ccOHV車であるPR20と、1800ccディーゼル車のPRD10の2種でスタートしたが、翌年4月に廉価版である1300ccOHV車であるPR10がラインナップに加わる。

車体は2ドアと4ドアのセダンで販売開始、1966年4月に丸形4灯にフェイスリフトが行われ、また、1300ccおよび1500ccOHVエンジンと、後輪リーフリジッドサスペンションを組み合わせた「タイプB」ことPR30とPR40が設定された。これらの違いは、異型角形2灯ライトとハイデッキとなったリアスタイルで判別できる

1968年4月に1600ccOHVモデルのPR50が追加されるが、1969年9月にはGTを含む1600cc車全車とともにOHC化、1971年10月のフェイスリフト時に1800ccSOHC車であるPR60の投入されると、PR10~40およびPRD10がカタログ落ちした。また設定から消えていた1600ccOHVエンジン搭載車が1600スペシアルとして復活する(以後1977年、フローリアンにディーゼルエンジンが設定されるまでディーゼル乗用車は空白期間となる)。

1973年10月、翌年のジェミニに引き継がれる形で生産終了となった。

一時期ピックアップトラックのワスプ(1963年6月発売)とライトバンのベレットエキスプレスが存在したが、これらは外観はベレットに準じているが、独立したフレームを持ち、乗用車としてのベレットシリーズとは全くの別物である。製造ラインもいすゞ藤沢工場ではなく、大和市の車体工業に置かれた。


GT


通称「ベレG」。ベレットは路面追従性と高速巡航性能を両立させた車であったことから、PR20をベースにレース技術をフィードバックして1964年4月に登場したものがGTことPR90である。

エンジンは高トルク形ツインキャブ1600ccOHVを新規に設計、車体もリアウインドウ部分が流線型となり、車体高もサルーンと比較して40mm低下した。高速ツーリング車ということでGTを名乗ったが、名称では本車種が日本最初のグランツーリスモとなった。

1964年9月、フロントマスクが若干変更し、フロントにディスクブレーキを装備される。また、この時1500GTと1500クーペも設定される。

1967年9月、それまで3ベアリングだったエンジンを5ベアリングに強化した90PSのPR91に変更。また、受注生産制ながら、車体をファストバックとしたPR91Gが加わる。

1969年9月、エンジンはSOHCとなり、1970年11月には1800ccSOHCを搭載し足回りを小変更したPR95が登場。翌年、PR91およびPR91Gの生産が中止される。

1971年10月、グリルがブラックマスクとなり、テールランプもより大型で視認性の良いものに変更される。また、圧縮比を8.7に落としカムプロフィールを変更、ロチェスターのシングルキャブを装備し、サスペンションを同時期販売の1600スペシアルと同等としたPR95N(1800GTN)を追加したが、他のGTシリーズと共にサルーンより早く1973年3月に生産終了となった。


GT typeR


形式名PR91W。「GT-R」と称されることも多いが正式名称は「GT typeR」である。1969年8月の鈴鹿12時間耐久レースで優勝を飾ったベレットGTXをプロトタイプとする、「ベレG」の中でも最上位モデル。エンジンを117クーペ用の1600ccDOHCに換装、サスペンションを前後輪とも強化スプリングとし、ブレーキにサーボを追加するなどサーキットでの技術をフィードバックさせている。車体は太陽光反射を抑えるため黒のボンネットが採用され、2分割されたフロントバンパーの間にフォグランプを装着する。しかし、1971年11月のマイナーチェンジ後はGTともども、当時流行のブラックマスクスタイルとなる。1973年3月まで生産されたが、生産総数は1400台程。なお、この車種に使用されていた"TYPE R"のエンブレムは3代目ジェミニ(クーペ・PAネロ含む)イルムシャーRにも引き継がれている。


MX


1969年の東京モーターショーに「べレットMX1600」として参考出品されたミッドシップエンジン・リアドライブモデル。市販車のベレットとは大きく異なるウェッジシェイプを基調としたデザインはイタリアのカロッツェリア・ギアによるもの。ボディはFRP製。 レーシングカーの「いすゞR6」をベースに117クーペ用の1600ccDOHCを搭載したツーシーターで3台が試作されていた。 翌年1970年のショーにはライトを4灯装備し、フェンダーミラー、グリルなどを変更した二次試作車が登場。量産化を予定していたが、営業サイドの反対やマスキー法対策などによる諸事情で市販には至らなかった。

概要


車名の由来は同社の上級モデルであるベレルの小型版を意味する造語。

手堅く平凡な設計のベレルと異なり、当時の様々な新機軸が取り入れられており、個性の強い小型乗用車となっている。ことスポーツモデルにおいては日本初のディスクブレーキを採用している。また、四輪独立懸架による路面追従性の良さと鋭いハンドリングとを兼ね備えていたこともあり、当時の日本車では破格の運動性能を持っており、「和製アルファ・ロメオ」との異名もとった。

なお、日本で初めてGT(グランツーリスモ)を名乗ったモデルを設定したが、多くのいすゞ車の例に漏れず、他社の新車攻勢下において市場の期待に応える抜本改良がなされないまま長期生産が続いた。このため1970年代に入ると販売実績が低迷し、後の自動車排出ガス規制の影響で1973年に生産終了となる。総生産台数は170,737台(いすゞ公式ウェブサイトより)。うちGTは17,439台。GTにおけるレースシーンでの活躍からクーペの印象が強いが、本来ファミリーカーとして想定されていた車種のため、販売の主力はセダンであった。このGTについては現在でも評価が高く、現在でも維持管理している愛好家も多く、オーナーズクラブも存在する。


機構


駆動方式は後輪駆動。エンジンはガソリンエンジン車は1300cc、1500cc、1600cc 、1800ccで、OHV、SOHC、DOHCの各種グレードが設定されていた。他に1800ccディーゼルエンジンモデルも存在した。

サスペンションは、国産フロントエンジン式量産車としては早い段階で四輪独立懸架を採用している。前輪はダブルウィッシュボーン、後輪はダイアゴナルスイングアクスルという組み合わせであった。このサスペンション構成はコーナリング時のテールスライドが激しく、ピーキーな運転を好む層には好評だったが、同時に横転しやすい欠点があった。これらの弱点に対し、1966年以降は後輪をリーフリジッドタイプの固定軸とした「タイプB」が追加された。

ステアリングギアボックスは、当時の日本車では例の少ないラックアンドピニオン式で、その応答性の高さが評価された。トランスミッションはエンジンサイズを考慮し、当時の標準仕様よりも1段多い4速MT を基本とするが、1965年には3速ATも設定された。

また、本車種はコラムシフトとフロアシフト 、ベンチシートとバケットシート、ドラムブレーキとディスクブレーキをそれぞれ組み合わせたモデルを用意したワイドセレクションとなっていたのも特徴の一つである。MTのフロアシフト型は各段への収まりが良い操作性の確実さを特長としていた。


歴史


サルーン


1963年6月登場。ヒルマン・ミンクスの後継車として開発された小型乗用車で、当初は丸目2灯の1500ccOHV車であるPR20と、1800ccディーゼル車のPRD10の2種でスタートしたが、翌年4月に廉価版である1300ccOHV車であるPR10がラインナップに加わる。

車体は2ドアと4ドアのセダンで販売開始、1966年4月に丸形4灯にフェイスリフトが行われ、また、1300ccおよび1500ccOHVエンジンと、後輪リーフリジッドサスペンションを組み合わせた「タイプB」ことPR30とPR40が設定された。これらの違いは、異型角形2灯ライトとハイデッキとなったリアスタイルで判別できる

1968年4月に1600ccOHVモデルのPR50が追加されるが、1969年9月にはGTを含む1600cc車全車とともにOHC化、1971年10月のフェイスリフト時に1800ccSOHC車であるPR60の投入されると、PR10~40およびPRD10がカタログ落ちした。また設定から消えていた1600ccOHVエンジン搭載車が1600スペシアルとして復活する(以後1977年、フローリアンにディーゼルエンジンが設定されるまでディーゼル乗用車は空白期間となる)。

1973年10月、翌年のジェミニに引き継がれる形で生産終了となった。

一時期ピックアップトラックのワスプ(1963年6月発売)とライトバンのベレットエキスプレスが存在したが、これらは外観はベレットに準じているが、独立したフレームを持ち、乗用車としてのベレットシリーズとは全くの別物である。製造ラインもいすゞ藤沢工場ではなく、大和市の車体工業に置かれた。


GT


通称「ベレG」。ベレットは路面追従性と高速巡航性能を両立させた車であったことから、PR20をベースにレース技術をフィードバックして1964年4月に登場したものがGTことPR90である。

エンジンは高トルク形ツインキャブ1600ccOHVを新規に設計、車体もリアウインドウ部分が流線型となり、車体高もサルーンと比較して40mm低下した。高速ツーリング車ということでGTを名乗ったが、名称では本車種が日本最初のグランツーリスモとなった。

1964年9月、フロントマスクが若干変更し、フロントにディスクブレーキを装備される。また、この時1500GTと1500クーペも設定される。

1967年9月、それまで3ベアリングだったエンジンを5ベアリングに強化した90PSのPR91に変更。また、受注生産制ながら、車体をファストバックとしたPR91Gが加わる。

1969年9月、エンジンはSOHCとなり、1970年11月には1800ccSOHCを搭載し足回りを小変更したPR95が登場。翌年、PR91およびPR91Gの生産が中止される。

1971年10月、グリルがブラックマスクとなり、テールランプもより大型で視認性の良いものに変更される。また、圧縮比を8.7に落としカムプロフィールを変更、ロチェスターのシングルキャブを装備し、サスペンションを同時期販売の1600スペシアルと同等としたPR95N(1800GTN)を追加したが、他のGTシリーズと共にサルーンより早く1973年3月に生産終了となった。


GT typeR


形式名PR91W。「GT-R」と称されることも多いが正式名称は「GT typeR」である。1969年8月の鈴鹿12時間耐久レースで優勝を飾ったベレットGTXをプロトタイプとする、「ベレG」の中でも最上位モデル。エンジンを117クーペ用の1600ccDOHCに換装、サスペンションを前後輪とも強化スプリングとし、ブレーキにサーボを追加するなどサーキットでの技術をフィードバックさせている。車体は太陽光反射を抑えるため黒のボンネットが採用され、2分割されたフロントバンパーの間にフォグランプを装着する。しかし、1971年11月のマイナーチェンジ後はGTともども、当時流行のブラックマスクスタイルとなる。1973年3月まで生産されたが、生産総数は1400台程。なお、この車種に使用されていた"TYPE R"のエンブレムは3代目ジェミニ(クーペ・PAネロ含む)イルムシャーRにも引き継がれている。


MX


1969年の東京モーターショーに「べレットMX1600」として参考出品されたミッドシップエンジン・リアドライブモデル。市販車のベレットとは大きく異なるウェッジシェイプを基調としたデザインはイタリアのカロッツェリア・ギアによるもの。ボディはFRP製。 レーシングカーの「いすゞR6」をベースに117クーペ用の1600ccDOHCを搭載したツーシーターで3台が試作されていた。 翌年1970年のショーにはライトを4灯装備し、フェンダーミラー、グリルなどを変更した二次試作車が登場。量産化を予定していたが、営業サイドの反対やマスキー法対策などによる諸事情で市販には至らなかった。

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