曖昧さ回避
- ドイツの 自動車メーカー。「メルセデス・ベンツ」のブランド名で知られ、「ダイムラー・トラック」の分離完了後は社名も同名に変更する予定。本記事で解説。
- ゴットリープ・ダイムラー-ガソリンを燃料に使用する内燃機関を研究開発し、後述のメーカーを創立した自動車技術者。本記事で解説。
- イギリスに存在した 自動車メーカー/ブランド。ブランド名は2.のエンジンのライセンス生産に由来し、ドイツのメーカーとの直接的関係は薄い。→ディムラー。
自動車メーカー
バーデン・ヴュルテンベルク州シュトゥットガルト市に本社を置く自動車メーカー。傘下にコンパクトカー専業のスマート、商用車メーカーダイムラー・トラック、フレイトライナー、デトロイト・ディーゼル、三菱ふそうトラック・バスなどを擁する。
元々は1883年創業の「ベンツ社」と、ダイムラー技師が1890年に設立した「ダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト社」が、1926年に合併したダイムラー・ベンツ社であった。合併後は主力メルセデス・ベンツの自動車や、戦車、船舶、航空機などのエンジンメーカーとして発展を遂げる。
1998年に経営不振であったアメリカのクライスラーと合併し「ダイムラー・クライスラー」となるが、クライスラー陣営との不和や北米事業の不振もあり2007年には合併を解消。同時に現社名に改称している。
2021年には電動化投資に集中するため商用車部門を「ダイムラー・トラック」として分離し、同社を自社傘下から分離した後、社名を「メルセデス・ベンツ」に改称することを発表した。
ゴットリープ・ダイムラー
ゴットリープ・ヴィルヘルム・ダイムラー(1834年3月17日~1900年3月6日)
略歴
1834年、ヴュルテンベルク王国のショルンドルフでパン屋の息子として誕生。
1848年、ガンスミスの親方に弟子入りする。
1852年、修了作品を提出し試験に合格。シュトゥットガルトの工芸技術学校に入学し、機械工学を学ぶ。
1856年、アルザスのR&S社で蒸気機関車製造部門の職長に指名され、シュトゥットガルトの工科大学で勉強するが、これからは内燃機関の時代だと感じる。
1861年、R&S社を辞職し、フランス、続いてイギリスを訪れ、最新技術に触れる。
1863年、バーデン=ヴュルテンベルク州のダニエル・ストラウブの工場に勤務し、機械設計に当たる。キリスト教会のブラザー・ハウスに査察官として参画し、15歳の孤児ヴィルヘルム・マイバッハと出会う。
1872年、マイバッハと共にケルンのN.A.オットーに勤務し、4サイクル・エンジンの概念を作り上げる。ニコラウス・オットー社長との意見の相違により1880年に解雇される。
1882年、カンシュタットにコテージを買い、マイバッハと共にガソリン・エンジンの研究に没頭。
1885年、ガソリン・エンジン付き二輪車(オートバイ)を発明。
1886年、馬車にガソリン・エンジンを載せた四輪自動車「ダイムラー・モトールキャリッジ」を製作。ガソリン・エンジン付きのボートも製作した。
1890年、「ダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト」を設立。
1892年、自動車の販売を開始。
1893年、株主と対立し、マイバッハと共に辞職する。
1894年、会社に復帰。
1900年、死去。