イギリスで開発・製造された自動車・オートバイに付けられるタグ。
英国の自動車産業
イギリスは長らくアメリカ合衆国(米国)に次ぐ世界第二位の自動車大国であった。1937年の時点では、乗用車の普及率は国民25.7人に1台の割合となっており、第二次世界大戦前の段階で自動車が当時の日本よりも遥かに身近な存在であったことがうかがえる。
戦後も自動車大国としての地位を維持し続け、上はロールス・ロイスから下はMiniといった具合に、超高級車から大衆車まで幅広いラインナップを誇っていたのだが、イギリス国内では多数のメーカーがひしめき合いそれぞれシェアを奪い合っている状況で、消費者の選択肢が多い半面、経営状況が厳しいメーカーが多いのも事実であった。
戦後の繁栄と影
大戦中は軍需生産が優先されたこと、枢軸国による空襲で工場や生産設備が破壊されたことから英国の自動車産業は大きな打撃を受ける。終戦直後も開発・生産が追いつかないため、しばらくは戦前のモデルの焼き直しでお茶を濁していた。
国内産業が立ち直った1950年代から、英国の自動車産業はヨーロッパを、そして世界をリードする存在となる。格調高い伝統と時代の先端を行くアイデアが融合した、良い意味でイギリス人らしい仕事ぶりが発揮され、革新的なレイアウトを持った小型車や、高性能なスポーツカーが生まれた。前者の代表がクラシックミニ、後者の代表がジャガー・Eタイプであり、共に自動車の歴史に燦然と輝く名車中の名車である。
また1950年代には既に英国フォードやボクスホールなどの米国系メーカーが着実に伸長しており、これに対抗すべく1952年には当時の2大大手オースチンとナッフィールド(モーリス・MG・ライレーなどのブランドを保有していた)が合併。ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)が設立された。
混乱と苦難の時代
その後、BMCには多くの乗用車や商用車メーカーが合併したものの各メーカーの経営は好転せず、1968年にはイギリスの大部分の自動車メーカーを呑み込んだ巨大国有企業「ブリティッシュ・レイランド(British Leyland/BL)」となる。
ブリティッシュ・レイランド傘下では、現在のアライアンス(メーカー同士の同盟)のように、上級車や大衆車、商用車といったグレードごとにブランド名、つまり傘下のメーカーがある程度決定されていたが、イギリスの自動車メーカーの大部分を抱え込んでしまったにもかかわらずメーカーやブランドの統廃合が進まなかったため、同じブリティッシュ・レイランド内部で競合が生じ、経営悪化に拍車をかけた。
例えばスポーツカーブランドではトライアンフとMG、高級車ブランドではジャガー、バンデン・プラ、デイムラーが重複してしまっている。購買層が限られており、決して数が売れるジャンルではないというのに。
また、同じ車種をエンブレムを変えてブランド間で融通するバッジエンジニアリングもBMC時代から盛んにおこなわれていたが、伝統を重要視する英国人消費者の目にはよく映っていたとは言えず、特に上級車や高級車のそれは露骨なコストカットに映った(事実そうであった)ためイメージが低下。経営を圧迫することとなった。
更に首脳部は重役の合議制という非効率かつ保守的な体制で、現場でもどこぞの島国の鉄道よろしく本業を投げ出したストライキが頻発。
こうして開発・生産の双方で著しく劣悪な環境となり、当然製品の品質も絶望的なレベルに低下してしまった。一例を挙げると、
・劣悪な鋼材を使用した/防錆処理を怠ったため、あっという間に錆びる(同時期のランチアやアルファ・ロメオなども同じ問題を抱えていた)
・走行中にバラバラとパーツが外れて落ちる
・警告灯などの先進技術を盛り込んでも誤作動が当たり前
といった具合である。
小型高級車を手掛けるメーカーの場合は、他ブランドの大衆車をベースに車体を架装する場合もあった(これ自体は英国車に限った話ではない)。ベースモデルの出来が良ければ概ね評判が良かったものの、大衆車の旧弊化や品質低下が進むと高級ブランドもこれに引きずられる形で問題を抱え込むことになり、遂にはバッジエンジニアリングすら覚束なくなって悲惨な結末を辿ったメーカーも存在した。
とはいえ当時はイギリス全体で英国病と呼ばれた深刻な不況下にあり、航空機や造船分野といったイギリスが得意としてきた他分野でも生き残りを賭けた厳しい再編を強いられていた。
自動車メーカーでもブリティッシュ・レイランドに加わらなかったアストンマーティン・ラゴンダは経営危機から1972年に僅か£100で売却され、「ヒルマン」「サンビーム」などを保有していた『ルーツ・グループ』に至ってはBMCに次ぐ規模があったにもかかわらずクライスラーに買収されて消滅した。
また、この頃アメリカでは衝突安全基準や厳しい排ガス規制が敷かれるようになったものの、これをクリアしてアメリカ市場で巻き返しを図る体力は残っていなかったのである。
そうこうするうちに英国内の自動車市場はドイツを筆頭とした欧州大陸・米国系のブランドに席捲されるようになり、加えて1970年代からは安価な日本車が大々的に輸入されたこともあって、1975年にはブリティッシュ・レイランドは破たん状態となり、国営化された。
復活の兆し、そして崩壊
1980年代に入るとブリティッシュ・レイランド傘下の大衆車系のブランドはオースチン・ローバー・グループに再編された。ローバーは航空機メーカーであるブリティッシュ・エアロスペース(BAe)傘下に入りホンダとの提携で生き残りをかけた。ホンダの生産・設計技術を取り入れた各車は好評で、経営も改善に向かった。
しかしホンダがローバーの経営権を得る準備を進めていた1994年、BAeはローバーの株式を突如BMWに売却する。BMWによる6年間のローバー経営は悲惨な結果に終わり、BMWはMiniなどの一部ブランドを手元に残し、他のランドローバー、MG、モーリスなどの各ブランドはバラバラに売却されてしまった。
こうして名門・イギリスの自動車産業は回復不可能なまでに瓦解し、ことにオースティンやモーリスといった大衆車メーカーは途絶してしまった。
現在の英国車
今日の英国車で残存しているのは専ら高級車ブランドで、そのほとんどが国外企業の傘下にある。
ロールス・ロイス・ミニ(BMW)は独BMW、ジャガー・ランドローバーはインドのタタ、ベントレーは独VWのそれぞれ傘下で、量産メーカーで英国資本の自動車メーカーはアストンマーティン(ただし、独メルセデスが資本参加している)くらいしかない。
それでも組織やブランドが残っていれば良い方で「ベビー・ロールス」で知られた高級車メーカーのバンデン・プラや王族や皇族の御料車も手掛けた老舗のデイムラー、小型スポーツ車を多く手がけたトライアンフ(四輪)などは2021年現在ブランドすら使われていない休眠状態である。
そうした中、吹けば飛ぶような中小メーカーが残り続け、趣味性が高く魅力的な車を作り続けているのも英国の自動車業界のユニークな点と言える。ロータス、ケーターハム、モーガン、アリエル、TVR、ジネッタ辺りが有名どころである(ブリストルやマーコス、ヴィーマックなど消えたブランドも多いが)。
英国の二輪車
オートバイに関しても、BSA、トライアンフ、ロイヤルエンフィールド、ノートンといった錚々たる面々が並んで…いたが、現在は往時の勢いが見られない。
とはいえ、日本でも150社ほどあったオートバイメーカーが4社に絞られる中で消滅したメーカーがその痕跡をほとんど残さなかったのに対し、倒産・消滅や外国資本への売却など紆余曲折を経てもなお名前が残り、生産を続けているメーカーが存在することは、英国製のオートバイに代えがたい魅力を見出す人が多い左証かもしれない。
関連タグ
TopGear…毒舌なBBCらしく、自国の自動車にも容赦がない。モーリス・マリーナをはじめ、ブリティッシュ・レイランド時代の車は彼等曰く「Rubbish」(英語でゴミクズの意)。