この会社は正式名称をTVR Motors Companyといい、トレバー・ウィルキンソンにより1947年設立された会社であり、現在では会社再建中であるとされる。
特色
この会社は特にスポーツカーを製造しており、特徴として走るために特化した車両である。また安全装置や電子機器をほとんど搭載していないとされる。そのために価格は他社の製品に比べ比較的安価であるとされる(ただし日本国内だとそれでも1000万円超えるわけだが)。
車両
この会社の製造するスポーツカーに関しては「大馬力で軽量であればそれでいい」という考えであり、マルチチューブラーフレーム(3次元の骨組みを持ち、分解ができないフレーム、ジャングルジムを思い浮かべてください)にFRP(繊維強化プラスチック。プラスチックにガラス繊維等の繊維を加え強化したもの)のボディを搭載したものを製造していた。
またこの会社の製造する車両は座席やメーターパネルまで自社製造を行うという方針であり、そのため電装品や安全装置に関しては走りにあまり関係ないうえ、専門外であるためほとんど搭載されないということになっている。
またほとんどの車種が2ドアのロングノーズクーペであり、慣れないと扱いの難しいスポーツカー(ただし乗り心地が良くない)である。
また、スピード12(タグへのリンク)などの英国面あふれる車を作ろうともしていた。
会社の歴史
この会社に関しては4つに分けることが可能である、すなわち創業者の序盤における立ち上げ、創業者の後半から3代目社長における自動車製造、若いロシアの富豪に買収されてからの混乱時代、そして現在である。
創業者
この会社は創業者が1946年に父親の支援によりTrevcar Engineeringとして立ち上げられた。当初は創業者とパートしか存在しない会社であり、自動車修理とディーラーが当初の収入源であった。
1947年、このころイギリス軍のトラック修理により経営に余裕が出たためパートの中から社員を雇いTVR Engineeringとした。
1949年より(自動車工学の知識が乏しいにもかかわらず)自動車製造を見よう見まねで開始、注文生産のみであったが、それでも1956年にはオープンカーのレーシングマシン風の車を作ることもできるようになった。
1958年、初の市販車であるグランチュラを発表。ポリシー通りのスポーツカーであったため、乗り心地は悪かったとされる。
また1963年にはスピードは出るもののシャーシに問題があり操作性に危険が伴うとまで言われたグリフィスを発表。
1965年にはトライデントというプロトタイプも発表したが、危機的な状況にあったこの会社で生産されなかった(トライデント社という会社が製造販売したとされる)。
経営状況も悪化、会社は1965年終わりごろ破綻し、会社の株式を保有していたマーチン・リリーの一族に買い取られ、彼が社長となった。
二代目社長
二代目社長はこの会社の弱点であった営業にも力を入れ、会社を何とかした。
1967年にはタスカンおよびグランチュラの後継であるビクセンを発表。
さらには1971年には先の2機種を捨て、Mシリーズ(ビクセンの改良型、大排気量エンジンを搭載したシリーズ)やタイマー(クーペであったMシリーズをハッチバックにしたもの、オープンカー形式の車両も存在する)を製造を開始、会社は年400台を生産できるようになった。
しかし好景気は続かなかった、アメリカ合衆国の排ガス規制、モデルチェンジの遅れ、さらに1980年に発表したタスミン(今までの車と異なり、近代的な直線のみで構築されたデザインだった)はデザインはよかったもののそれまで発売していた車よりも5000ポンドも効果になっていたため売れず、景気後退の影響もあり会社の経営は行き詰り、化学業界でコンサルタントをしている富豪であり顧客のピーター・ウィラーに経営権を譲渡した。
三代目社長
社長が変わると、まず不評な点を洗い出し、改良する作業に取り組んだ。エンジンを変更し軽量化を行い、バリエーションを増やした。
そして1984年には280i、1985年には350iなどを開発し、景気回復の影響もあり会社は盛り返した。また新製品の手を止めず、Sシリーズ(タスミンベースのオープンカー)、グリフィス(オープンカー、内装が豪華)、キミーラ(オープンカー、ほかの車に比べ乗りやすいとされる)などを発表した。
また、1994年には何を考えたのか8気筒エンジンを自作し、それをサーブラウ(2+2シータークーペ)に搭載した。また、6気筒のエンジンも自作し、さらにはそれを二つくっつけた12気筒エンジンを作成し、それを搭載したサーブラウスピード12(レーシングカーとして開発されたプロトタイプ。あまりの性能で危険なため社長の命令で一般販売されなかった)も発表した。
なお、6気筒エンジンはサーブラウ、タスカン(二代目、自動車としてはギミックが変わっている、この車両は2003年に制作する予定だった西部警察に登場するはずだった)、タモーラ(グリフィスやキミーラの後継モデル、ソフトトップ2シーター)に搭載された。
4代目社長と破綻
2004年、ロシアの富豪(銀行のオーナー、なお、オーストリアやイギリスで教育を受けたとされる)Nikolay Smolenskyにより会社は一説によると1500万ポンドという高額で買い取られた。
この社長は今までの会社の方式を改め、販売と製造などを分離し、今まで社内で製造していた部品を社外生産にし、さらに人件費の安い国外での製造によりより利益を求めようとした。また、2005年に新しく販売したサガリス(T350ベースの2ドアクーペ)には2年間の保証を付けるようにした。
しかしそれらはユーザーや今までの従業員には求められていないことであった。おそらく2006年に従業員はサボタージュで対応し、生産量が落ちたため、会社はその年の12月、倒産した。
会社は競売にかけられたが、Nikolay Smolenskyが買い戻したものの、従業員の反発により自動車を作ることはできなくなっていた。
会社の再生
Nikolay Smolenskyは会社の再建はあきらめてレス・エドガー(ポピュラスやテーマパークシリーズを作った会社を創設したメンバーの一人で、自動車業界にも詳しい)を中心とするファンドに売却。現在再建中であるとされる。
pixivにおいて
当然この会社の製造した車両のイラストが多い。