概要
BSAは小銃の製造業で発展したバーミンガムにおいて1861年に小銃メーカー14社からなる同業者組合「バーミンガム小型武器取引協会」として設立された。これはエンフィールドに存在した国営銃工場と企画を共有するためであり、これにより小銃だけではなくライフルも作るようになり、また企画や部品の共通化によって生産性も飛躍的に向上した。
戦況によって需要が左右されることで経営が不安定だった為、1880年に銃の製造技術を活用し、安定した需要が望める自転車産業に進出した。1910年にオートバイ部品の製造を始め1919年には後に銃に代わる屋台骨となったオートバイそのものの生産も始めた。
一方1907年には自動車の製造も始めたが、1909年以降にダイムラーの傘下に入り大規模な支援を得ていながら全く売れず、戦争が起きるたびに製造中止となり、戦争が終われば再開という状況を繰り返した。結局1940年をもって自動車から撤退。1958~60年にかけて再参入の研究を行ったものの実行に移されず自動車に限定したBSAの商標は中国に売却され現在はタタモータースが保有している。
2度の世界大戦の中でBSAは銃弾やルイス銃、砲弾や航空機部品の製造もおこなうようになるなど多角化が進んだ。
1951年にトライアンフを買収、BSAトライアンフとなった。1953年にBSAモーターサイクルと改称し、自転車部門はBSAサイクルとして分社化された。1957年、自転車部門はラレーに売却された。のちにチューブ・インベストメンツ・インディアに転売されている。
残ったオートバイ部門は一時期世界最大のオートバイメーカーと称されるまでになっていたが1960年に親会社のダイムラーがジャガーに買収されてから陰りがみられ、1970年代には倒産寸前に追い込まれた。1973年に当時の政府の国有化政策によって救済されることになり、同じく経営が悪化していたオートバイメーカー「ノートンヴィリエ」と合併し国有企業「ノートン・ヴィリエ・トライアンフ」となってBSAは消滅した。
結局、1978年にノートン・ヴィリエ・トライアンフは崩壊し、BSAのオートバイ部門はBSAカンパニーとして復活したが、かなり小規模であり、さらに電動自転車(モペッド)参入に関してチューブ・インベストメンツ・インディアとの訴訟問題も抱えることになった。会社は2016年にマヒンドラに買収されている。銃部門はスペインのGamoに商標が買い取られた。
一方でトライアンフはメリデン労働者協同組合によって再興され現在に至る。こちらは現在でもオートバイを多数製造し、日本でも発売しているなどBSAと完全に立場が逆転する結果となっている。
関連項目
ハスクバーナ - BSAと同じく元々は銃メーカーだった。
宮田工業 - 同上、オートバイ参入にあたってトライアンフを徹底的に研究していた。