ライレー
らいれー
イギリスの自動車製造メーカー及びそのブランド。
創業より
1890年、ウィリアム・ライレー・ジュニアがコヴェントリー市の自転車会社ボニック・サイクル・カンパニーを買収し、ライレー・サイクル・カンパニーに社名変更。その後自転車のギアを製造していたスターミー・アーチャーも買収した。
1898年、ウィリアム・ライレー・ジュニアの息子、パーシーが自動車を作る。その後、ウィリアム・ライレー・ジュニアや子供たちによって車体やエンジン、ホイールなど関連企業が次々と設立され、1914年の第一次世界大戦を経て大きく発展する。
1926年、パーシー・ライレーがツインカムOHVエンジンを開発。このエンジンを搭載したナインは車体設計も優れ、ライレーの名を高めた。レース車両としても人気が高く、1920年代後半以降、ワークス・チームやプライベート・チームに提供された。しかし中規模メーカーにもかかわらず19種ものボディバリエーションを用意したため、生産コストが過大となった。
1930年代に入ると、低価格で高性能な車を提供するジャガーがライレーにとって脅威となる。
ナッフィールド時代
1938年、ライレーは経営破綻。モーリス社を核とするナッフィールドの傘下となった。
1939年、第二次世界大戦が勃発。
1945年、ナッフィールドの上級車としてRMシリーズを発売。木骨ボディながらフロント・サスペンションはトーションバーとウィッシュボーンによる独立懸架だった。
1947年、ライレー工場は生産を停止し、ライレーの生産はMGのアビントン工場で行われた。
BMC時代
1952年、ナッフィールドとオースチン・モーター・カンパニーが合併し、BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)となった。ブランド戦略の混乱によりライレーの販売は低調となっていく。
1965年、ミニをベースに作られたライレー・エルフ、ライレー・ケストレルが最後のライレー車となった。