概要
元々は国産・輸入自動車の販売を行っていたが、その後設計・製造にも参入し日本ではまだ若い後発の自動車メーカーとなった。
社のキャッチコピーは「小さな工場には、夢がある。」
沿革
1968年創業。
当初は新車および中古車の販売を行い、BUBU(ブブ)という名前の店舗を全国展開するまでに事業を成長させていった。
1979年に開発部を設置。
1982年には50ccエンジンを搭載して自動二輪免許又は原付免許で運転が可能なゼロハンカー「BUBUシャトル」を発表した。
その後、同じ富山市内にあるタケオカ自動車工芸に製造を依頼してBUBUシャトル50を販売開始し、ゼロハンカーシリーズを展開していく。タケオカ自動車工芸とは合併や提携の話も出ていたが、折り合いが付かなかった。
ちなみにこのBUBUの50ccエンジンはホンダのスクーターのものを流用しており、よく見ると後輪部分はまんまスクーターである。
1985年の新道路交通法の施行によって、ゼロハンカーの運転にも普通自動車免許が必要となる。
これを機会に他社の市販車を用いたレプリカ車の開発を手掛けるようになり、1987年に「BUBUクラシックSSK」を発表。この改造技術が後のラ・セードやビュートなどの誕生に至る。
1994年にロータスのスーパー7を模したレプリカ車ゼロワンを発表。これが組み立て車として認可されたことにより、光岡自動車は10番目の国産自動車メーカーとして認められることとなる。
その後もレプリカ車の製造販売を展開し、ユーガ、リョーガ、ガリュー、ヌエラなど、独特のスタイリングとネーミングセンスを持った乗用車を続々と発表していく。
2001年には東京モーターショーに初めて出展し、エンジン以外で初の完全自社生産車であるスーパーカーのオロチを会場で発表。その高い注目度は初出展を見事成功に導いた。
その後の東京モーターショーでもオロチの派生モデルなどを発表している。
2024年にはスーパー戦隊シリーズ第48作『爆上戦隊ブンブンジャー』に車両協力をすることが発表された。
現在光岡は他社の新車や中古車販売を事業とするBUBUグループの経営も続けて行っている。
また「キットカー」と呼ばれる、購入車が自分の手で組み立てるという50ccクラスの小型車(ミニカーの開発も手がけていた。
関連項目
超速変形ジャイロゼッター:こちらもオロチ、ビュート、ガリュー、ヌエラが実在車として登場した。