その他曖昧さ回避
・英語の形容動詞で「親しい様子」、「家族的」、「ありふれた様子」、「普通な様子」など。
・兵庫県神戸市に本社を置く子供服を中心とするアパレルメーカー。連続テレビ小説「べっぴんさん」のモデルとなった。→公式サイト
概要
1963年10月から2003年10月まで自社生産を行っていた東洋工業→マツダの乗用車。販売は2004年3月まで行われている。
1960年代半ばから1990年代にかけて、マツダの主力車種の座に君臨していたが、アクセラ(やデミオ)に後を託す形で姿を消した。
ただし商用車に関しては他社からのOEMという形で販売が続けられてはいる。
歴代モデル
初代
1963年10月にライトバンとして登場。
当時はほかのライトバンと比較すると「貨客兼用より乗用に近い」と高く評価された。
1964年4月にステーションワゴンが追加され、さらにはピックアップトラック、ノッチバックのセダン、クーペもラインナップに加わった。
ちなみにカローラの生みの親・長谷川龍雄はこのモデルを高く評価しており、カローラがあっさりファミリアを超えてしまった事に関して、「なんでマツダはファミリアに力入れなかったんだ?」と首をかしげたそうである。ただマツダとしてはファミリアだけに力を入れられない事情があったためではあるのだが。
2代目
1967年11月に登場。
1968年2月にはライトバンがラインナップに加わっている。
ロータリーエンジンの普及も視野に入れて、それが搭載されたクーペ「ファミリア・ロータリークーペ」が1968年6月に登場、さらに1969年7月にはセダン「ファミリア・ロータリーS」シリーズが追加された。ちなみに2人乗り以外のロータリーエンジン搭載車は、1967年に販売が開始された西ドイツ・NSUのセダン「Ro80」に次ぐものであった。
なお、ロータリークーペ登場後の1968年9月にクーペのレシプロエンジン搭載車が追加されている。
1970年4月に「ファミリア・プレスト」と改名した。
3代目
1973年9月に移行。ただしライトバンとピックアップトラックに関しては、引き続き2代目が製造・販売されている。
全幅拡大・フェイスリフトを実施する一方、ロータリーエンジン搭載車を廃止した。また1976年には全車種のフェイスリフトを実施、今のCIロゴを採用した
サイド側のデザインは2代目とほぼ同じであるが、2代目までは型式番号がモデルによってバラバラであった(例えば2代目1,000ccセダンはSPB→SPC、1,000ccライトバンはBPBV→BPCV、ロータリーエンジン搭載車はM10A)。 そんなこともあってか、この3代目は、クーペとセダンに関してはFA3に統一した。
韓国の自動車メーカーである起亜でも(ノックダウン生産⇒)ライセンス生産が行われており、「ブリサ」と言う名称で販売された。
4代目
1977年に移行。
ハッチバックスタイルに一新したが駆動形式は引き続きFRを採用している。
ライトバンも1978年6月に移行したものの、ピックアップトラックは廃止された。
海外のカーマニアによってロータリーエンジンに換装した例もあったようである。
松竹映画「幸福の黄色いハンカチ」にも登場した(メインイラストも参照)。
1979年4月にフェイスリフトなどを行った際にはチェリッシュを広告キャラクターに採用している。
5代目
1980年6月に移行。
駆動方式がFFに切り替わり、ノッチバックのセダンモデルも復活。
ただしライトバンは4代目を継続させた。
広告キャラクターに北大路欣也を起用。
大ヒットを記録し、日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞している。
赤の3ドアハッチバックがシリーズを代表するモデルとなり、赤いファミリアというとこれと6代目のハッチバックを連想する人が多い。
6代目
1985年1月に登場。
ライトバンもFFに転換した。
日本車初の横置きエンジン+フルタイム4WD車や、オープンカー(カブリオレ)も追加し、車種の充実を図っている。ハッチバックとセダンについては先代のイメージを踏襲している。
広告キャラクターとして中井貴一が起用されており、特撮ドラマ超人機メタルダーにメタルチャージャーのベース車として赤の3ドアハッチバックが登場した。
グループA規定となった世界ラリー選手権(WRC)に四輪駆動モデルが参戦し、ラリー・スウェーデンで2度、ニュージーランドでも1度優勝を飾っている。
当時他の日本メーカーがサファリラリーを得意としていたのに対し、マツダは欧州型の高速ラリーに強みがあった。
1988年と1991年には日本メーカーとして初めて、WRCの下位クラスであるプロダクションカーカップ(市販車に近いグループN規定)でチャンピオンを獲得している。
7代目
1989年2月に登場。
ただしライトバンは6代目のまま据え置きとなり、1994年まで生産販売された。
3ドアハッチバックおよび5ドアハッチバッククーペの「アスティナ」、セダンという構成になった。
アスティナに関しては後述の「エチュード」の後継車として企画され、マツダの販売チャンネル拡大構想に基づきユーノスブランドの「ユーノス100」として発売された。
四輪駆動モデルは先代に引き続きWRCに参戦、1993年にはプロダクションカーカップで3度目となる総合優勝を飾っている。
ただしグループAで参戦していたワークスチームは経営難から、その前の1992年に撤退した。
8代目
1994年6月に移行。
ライトバンに関しては日産自動車からのOEM(ADバン)に変更。
自社生産は3ドアハッチバッククーペのNEOとセダンに絞り込んだ。
NEOは海外からの評判は良かったものの、日本ではデザインなどの問題もあってか販売不振となり、結果として2年で日本市場のラインナップから外れて3ドアハッチバックに置き換えられた。 なお3ドアハッチバックは海外市場でも販売されている
広告キャラクターは大槻ケンヂ→とんねるず→アンドレ・アガシを起用。
9代目
1998年6月に登場。
ステーションワゴン(S-ワゴン)とセダンの2車種が発売された。
先述の通り2003年10月をもって生産を終了、そして販売も2004年4月に終了した。
後継車はマツダ3(3代目までの日本名アクセラ)。
ライトバンに関しては2007年に9代目に移行したが、2018年6月登場の10代目以降はトヨタのプロボックスのOEM仕様に切り替わっている。
派生車種
1971年から1978年まで販売されていたファミリア(プレスト)の上級車種。
クーペ、バン、セダンの3車種が存在した。
ただし「ファミリア」の名前がついているが、実態は初代サバンナのレシプロエンジン仕様車であった。
1987年から1990年まで発売されていた3ドアハッチバッククーペ。
ファミリア並みの走行性能を持っていたが、ベースとなったファミリアの陰に隠れて廃止となった。
後継車は「ファミリアアスティナ」。
- フォード・レーザー
フォードとの提携によって生まれた車種で、1981年から2000年まで販売された。
3代目(3ドアハッチバッククーペとセダンが設定されていた)以外はファミリアのOEMとなっていた。
ただし4代目のハッチバッククーペはヘッドライトの形がファミリアのNEOとは異なる。
なお3代目は、2代目フォード・エスコートセダン&3ドアハッチバック(および2代目マーキュリー・トレーサーセダン)の日本仕様車である。
追記
米国を除く海外では「マツダ323」という名前で売られ、特にヨーロッパでは高い評価を受けた。
アメリカでは「マツダGLC」→「プロテジェ」のほか、2代目は「マツダ1000」、6代目のハッチバックとバン(のリアシートを座り心地の良い物に取り替えた物)は(初代)「マーキュリー・トレーサー」という名前で売られた事がある。
2代目のロータリーエンジン搭載車は海外ではマツダR100と言う名称で販売された。
台湾ではイサム・ゲンキと言う名称で販売された。
外部リンク
マツダ公式サイト内「マツダの名車たち ファミリア(1963年~)」