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コスモスポーツ

こすもすぽーつ

1967年(昭和42年)5月に2シータークーペモデルとして発売された。同時に世界初の実用・量産ロータリーエンジンを搭載した車でもあった。
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この自動車は世界で最初に発売された「量産実用、かつ多気筒のロータリーエンジン搭載の車両」である。それまでには、ロータリーエンジン搭載車はNSUヴァンケル社 (現・アウディ) が1964年( 昭和39年 )に発売したヴァンケルスパイダーというものが存在したが、この車両の場合、ロータリーエンジン特有の多くの課題( アイドリング時の激しい振動やシーリング不足、エンジン内部の異常な摩滅 )が放置された代物かつローター( ロータリーエンジンにおける気筒 )をひとつしか搭載しないエンジンであった。
 1972年( 昭和47年 )、製造終了。1,176台を売り上げた( なお参考で同時期のいすゞ117クーペ初期型が2,458台 )。1973年にはオイルショックが発生することを考えると良い時期に生産を終了したと思われる。

車種など

 この車種はプロトタイプ、前期型、後期型が生産された。

プロトタイプ

1963年( 昭和38年 )公に発表され、翌1964年( 昭和39年 )の初めて実車出展。搭載されたエンジンは、400cc×2ローター(70ps/6,000rpm)だった。1965年( 昭和40年 )最終生産型として展示されたが、1966年( 昭和41年 )以降実用化テストに基づきさらなる改良が加えられ、1967年5月に発売された。

前期型および後期型

 1967年に前期型が発売された。また、1968年( 昭和43年 )7月には法律適合および走行面での改良、ミッションの五速化等が行われた。
 この車は同グレードの車種としては高級(比較で同時期のスカイラインフェアレディZの1.5倍以上!ハンドメイド扱いされたいすゞクーペタイプよりは少し安い)な車両であった(初期型で148万円、後期型で158万円)。

エピソード

 1964年の実車公開の際、当時の社長が自らハンドルを握って広島から到着、帰路には各販売会社や取引先の銀行、総理大臣などを訪問した。

 石原慎太郎が参議院議員として初登院の際に国会に乗りつけたことでも知られている( もともと石原家は広島出身で、マツダがNSU社との契約を結ぶ際の架け橋となったとされる )。

 この車両を発表したことによりトヨタと激しい広告合戦を繰り広げた。

 1967年(昭和42年)には、調布 - 八王子間が開通した中央自動車道に、高速パトロールカーとして警視庁第八方面交通機動隊に配備された。
 1968年8月にはmazda110Sの名でニュルブルクリンクで行われた84時間耐久レース「マラトン・デ・ラ・ルート」(生産車のスピードと耐久性が競われる文字通りのマラソンレース)に参戦、結果は、参加59台中、完走はわずか26台であり、このなかで完走を果たすのみならず総合4位( 順位は84時間後の走行距離で決められる )入賞となった。
 1971年 (昭和46年)の『帰ってきたウルトラマン』にて、防衛チーム「MAT」の専用車両「マットビハイクル」として後期型が登場している。その未来的なフォルムによりほぼ量産車そのままの外観で使用されている。
 ロータリーエンジン搭載市販車両の燃費を測定したところ、この車種がもっとも燃費が良かった(ちなみに8.3 km/L、おそらくエンジンの質と車体の重量によるものと推測される)。

関連項目

ロータリーエンジン マツダ スポーツカー クーペ

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