概要
鎮西高、日産自動車を経て2006年ドラフト希望入団枠で横浜ベイスターズに入団。主な同期入団選手は下園辰哉、北篤、梶谷隆幸。
ルーキーイヤーとなった2007年はイースタン・リーグで10勝5敗(最多勝)、防御率2.46と好投。終盤には一軍昇格し2勝を挙げた。
2008年は成績が振るわなかったものの、2009年はセットアッパーとして一軍に定着。56試合に登板し、4勝負けなし。
2010年は再び不振も、2011年に開幕先発ローテーションの一角として活躍しブレイク。チーム内で唯一規定投球回に達したが、ムエンゴで5勝15敗、勝率.250というすさまじい記録を残してしまった。
2012年も相変わらずムエンゴだったが、後半になるほど安定感をまし自己最多7勝をマークしている。また、この年から親会社がDeNAに変わった横浜DeNAベイスターズとしての初の開幕投手も務めた。
その後は患った痛風の影響もあり、満足な成績が残せなくなり2017年に現役引退。現在は同球団でスコアラーを務めている。
人物
- よくブログを更新する。
- なんJなどでは(変換ミスでなどで)高さ危険太郎などと揶揄されることもある。反対は低め安全太郎。
- ムエンゴなところも含め、三浦大輔の後を継ぐベイスターズのエースとして期待されている。