概要
室町幕府第8代将軍足利義政が作らせた別荘を仏教寺院としたもので、境内の2層式楼閣観音殿(銀閣)に基づく。
銀閣の名について、義政の祖父義満が手がけた別荘で同じく寺院となっていた現在の鹿苑寺(金閣寺)の舎利殿(金閣)に因んだなど諸説あるが、こちらは長い歴史において銀装飾はほとんど使われていない。
一説では本来は銀箔が張られる予定であったが、その前に義政が他界し計画が消滅したとされている。
1950年の放火で消失した鹿苑寺の舎利殿とは異なり、慈照寺の観音殿は火災や戦災に遭う事なく今日まで現存。
銀箔が貼られなかった外観は質素であるが故の侘び寂びの印象が高く評価されており、1951年に国宝に指定、1994年にユネスコにより「古都京都の文化財」の一部として世界文化遺産に登録された。
また慈照寺には東求堂という義政が建てた建物(国宝)が消失する事なく残されており、義政の私邸の一部であったとされる。
ここの一室である同仁斎は、当時武家屋敷として発達してきた書院造様式が完成した建築と評価される。
義政の書斎であったとも言われる部屋で、四畳半の間取り、床の間、違い棚、障子など、現代の和室要素がほぼこの建築において出揃っている。