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最澄

さいちょう

最澄とは、「伝教大師」の名で有名な天台宗の開祖である日本の仏僧である。
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曖昧さ回避

  1. 平安時代前期の僧侶本項で解説。
  2. 烈火の炎の登場人物。

概要

中国仏教の宗派の1つ『天台宗』を日本に伝えた人物で、『伝教大師(でんきょうたいし)』の名でも知られる。

近江国(滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)に生れ、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。

生年に関しては、一般には神護景雲元年8月18日(西暦767年9月15日)とされるが、天平神護2年(766年)という説も存在する。


12歳のとき近江国分寺に入り、出家して大国師である行表の弟子となり、14歳のとき国分寺僧補欠として11月12日に得度し、名を最澄と改めた。

787年に比叡山延暦寺の基となる小規模な寺院を建立し、797年には桓武天皇内供奉十禅師も務めている。


この頃は、政治宗教が密接に成り過ぎて、僧侶による朝廷内で汚職や権限の乱用が発生するなど、仏教の権限が失墜を始めていた頃であり、状況を憂いていた彼は、804年7月に門弟の義真を通訳に連れて、空海とおなじく九州を出発し明州に渡った。

天台山にて代の僧である湛然の弟子、道邃行満について天台教学を学び、道邃から大乗菩薩戒を受け、翛然から順暁から密教を、それぞれ相承した。


帰国後、天台宗を土台に禅と密教を統合して独自の『天台宗(天台法華円宗)』を構築し、開祖としても扱われる。開教後は学んだ教えを伝えるべく布教活動に努めた。更に、彼の後継者であり自身も入唐した3代目伝教師(後の天台座主)円仁により浄土教も取り入れられ、日本における天台宗は大乗仏教の法門を広く包括する宗派となった。


鎌倉時代に新たな法華宗(後に日蓮宗日蓮正宗などの教団に分かれる)を開いた日蓮も最澄を尊敬し、自著『立正観鈔』において中国における天台宗の大元の開祖である智顗(天台大師)と共に、『法華経』に登場する薬王菩薩の生まれ変わりとした。


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