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日蓮正宗

にちれんしょうしゅう

日蓮正宗とは日本大乗仏教の宗派のひとつである。
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概要

日蓮を開祖とし、彼が後継者に選んだ六老僧の一人「日興」を第二祖とする宗派。
総本山は静岡県にある大石寺。所在地からは富士山を臨むことができ、大石寺版の御書(日蓮著作)全集には富士山のマークが刻印されている。

六老僧のうち五人が起こしたグループ、そしてそれらが後代に一つにまとまる日蓮宗と異なり、釈迦如来ではなく日蓮が本仏であるとする。
論拠となっているのは大石寺の代々の法主(宗門全体のリーダー)に伝わってきたとされる「血脈相伝の口伝」であるが、日蓮宗側はその正当性を認めていない。

創価学会は日蓮正宗の在家信徒団体として誕生したが、現在は宗門(大石寺側)と断絶関係にある。同様に喧嘩別れした分派に顕正会正信会があり、機関誌上での罵り合いなど4つどもえの争いが現在に至るまで続いており、信者の引き抜き合戦も盛んである。

組織

大石寺の代々の法主をトップとする中央集権体勢がとられている。法主は先代当主の指名で就任し、概ね教学部長経験者が就任する流れになっている。幹部クラスの僧侶の名には「日」を入れる(「日号」と呼ぶ)。
僧侶は中学生から大石寺の寮に住み込み法主の弟子という扱いで育成される(男子のみ)他、成人からの一般得度も受け付けている。
住職の異動が他宗派に比べて比較的多いのが特徴。

信仰

日蓮宗との違いで際立っているのが本尊の扱いである。日蓮は生前、独自の法華曼荼羅を生み出した。題目曼荼羅、文字曼荼羅、十界曼荼羅、ひげ題目とも呼ばれるこの曼荼羅は、題目「南無妙法蓮華経」の周囲に神仏の名を配置したものである。法華曼荼羅は日蓮系の宗派の寺院や家庭用の仏壇で「ご本尊」として祀られる。

日蓮正宗において本尊となるのは大石寺公式の板曼荼羅あるいは紙の曼荼羅のみであり、その他の仏像が本尊として安置されることはない。日蓮宗ではお堂で一人(観音堂など)や数人(三光堂など)の神仏を個別に祀ったケースも多いが、日蓮正宗ではそれはない。
日蓮宗の仏壇では曼荼羅の両側に大黒天鬼子母神を配するが、これも行われない。
本尊以外を拝むことは「謗法」として禁止されており、入信にあたっては「誹法払い」と呼ばれる他宗関連のグッズなどの処分を行い、信者の子供達がクリスマス会に行くなども否定されている。ただ、法律を破ってまでの強制処分までは認められておらず、他宗教施設に付き合いで行く場合も「内心で拝まなければよい」とされている。

紙に書かれた本尊には「常住本尊」と「形木本尊」の二種類がある。常住本尊は当代の法主が書写した本尊で、形木本尊は「形木」という木版印刷の方式で複製された本尊である。
板本尊や紙幅本尊の本尊のレイアウトは大石寺所蔵の「本門戒壇の大御本尊」と同じである。日蓮が残した本尊にはレイアウトが異なるものがあるが、正宗の信仰の場で用いられるのは「本門戒壇の大御本尊」タイプのみである。
こうした本尊は法主の許可のもと本山から下付される、という形で各寺院や信徒のもとに渡る。
この手続きを踏まない限り、レイアウトが同じでも正式なものではなく「魔が入る」とすら語られる。
このため、宗門から独立したあとの創価学会が独自に印刷した本尊は正宗的には「偽本尊」という事になる。
創価学会版では大本のレイアウトの一部が書き換えられており、これも宗門側から強く非難されている。

折伏(勧誘)を特に重視しており、各寺院が「誓願」として折伏数の目標を掲げ、所属の信者達がそれを達成すべく勧誘に邁進する行動が見られる。これらの行動は喧嘩別れした創価学会および顕正会にも見られ、物議を醸すことも多い。

創価学会との関係

前述のように創価学会はもともと日蓮正宗の信徒団体(法華講)であった。ある宗教団体の一部であったため、当初は宗教法人格を持っていなかった。1990年に宗門から破門されるまでは創価学会メンバーはそのまま大石寺の信徒であった。
破門までに刊行された「新編 日蓮大星人御書全集 日蓮正宗大石寺版」の序では全集の作成にあたって「創価学会で御書全集の美挙が決定せられ、」とある。序文が書かれたのは昭和二十七年であるが、これを書いた日亨は当時の法主(59代目)である。
創生期の強引な手法もあり急速に拡大した創価学会は大きな組織力・資金力も持ち、それを背景に大石寺敷地内に巨大な「正本堂」を建設することもできた。
「正本堂」が宗門の至宝とも言える「本門戒壇の大御本尊」を安置するための施設、である事からもある時期までの創価学会の位置の大きさが伺われる。
しかし「正本堂」建設における願主であり、三代目代表池田大作は創価学会自体に信心の血脈が受け継がれている、会館はそのまま寺院である等の主張を行った。
これは「大石寺が教えの血脈を継承する総本山であり主である。そして、創価学会はあくまで信徒団体であり従である」という関係性を覆しかねないものであった。
宗門側はこれについて批判し、彼等に対し本尊の下付を自粛するといった措置をとった。学会側は宗門の支持を受け入れず、本尊の作成を独自に行う者も現れた。こうした積み重ねにより1990年、破門を言い渡し、創価学会メンバーはそのまま残るか、大石寺に移るかを迫られた。
そして正本堂は(施設としてはまだ使えるものであったが)50億円を投じて解体作業が行われ、その跡地には新たに「奉安堂」が建設された。
この代の法主・日顕(67代目)は宗門に敵対的になった創価学会に対抗する信徒団体「正信会」の設立も行っており、創価学会側から特に憎悪されている。
法主という代表者であることから、宗門側を差す「日顕宗」という罵倒語にも使われた。

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