名前
梵名は「マイトレーヤ」。パーリ語形は「メッティヤ」。
大乗仏教の菩薩の代表格であるが、阿含経にも登場する。名前は「慈しみ」を意味する語に由来しており、ペルシャ神話のミフル(ミトラス)を由来とするという説がある。
ただしミフルに対応するインド神話の神ミトラと弥勒は仏典においては同一視されていない。
経典には「ティッサ・メッティヤ」という名の別の人物も登場しており、釈迦在世時、または仏典編纂時のインドで人名として使われていた事が窺える。
概要
観世音菩薩や地蔵菩薩と並ぶ、大乗仏教の菩薩の代表格であるが、大乗の菩薩衆の中で唯一、阿含経にも登場しており、そのためパーリ語で阿含経を伝承する上座部仏教においても存在が支持される。
釈迦(ガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッタッタ)の次にこの世界(サハー国土)の仏陀となる存在として記される。それまで兜率天という天界に待機しているという。
阿含経典におけるメッティヤ
パーリ三蔵の「長部(ディーガ・ニカーヤ)」に収録された『転輪聖王獅子吼経』(対応する漢訳は「長阿含経」収録の『転輪聖王修行経』。「中阿含経」収録の『転輪王経』にも対応部分あり)においては遙か未来に兜率天より下生するとされる、という点で大乗仏典の弥勒像と共通する。
人類の年齢が100年である時代が今の我々の時代とされるが、これは宇宙の生滅の大きなサイクルのうちのごく一部であり、かつて転輪聖王が世界を統治していた時代は8万年であり、容姿も今の時代の人間より遥かに優れていたという。要は人間と言いつつも、今の時代からすると神々の如き存在だったのである。
だが、ある代の転輪聖王の些細な失政から、人間社会に貧困が生まれ、貧困は盗みを生み、盗みを禁ずる法律が作られると、目撃者を殺す者が現われ……更には、犯罪を取締る為のものだった筈の法律を悪用して罪の無い者を陥れる者さえ現われるようになった。
それから徐々に堕落を重ねると共に人間の寿命が縮み容貌も衰えていったのだと釈迦の口から語られる。更に容貌の衰えや寿命の低下は一律には起きなかった為、容貌などが劣る者達への差別も生まれていった。そして、「今の時代」である人間の寿命が100才の時代になる。
「現代」から遙か未来には更に寿命は縮んでいき、人類の堕落と退廃もまたさらに強まり、道徳と品性は獣に落ち切り、弱肉強食の修羅の巷が出現する。
そして寿命が10才となる時代、人々は肉食獣の如く互いを餌食としていく。だが、殺し合いの地獄絵図の中、人類の中に殺し合いを厭い、互いの生存や存在を喜ばしく思う者たちが現れる。
ここから人倫の回復と社会の再編が起こり、堕落を逃れた事により寿命はまた八万才へと戻っていく。
しかし理想時代を取り戻した人類にも、欲望や空腹感、老化という苦しみが自覚されていく。
この時、メッティヤは世界に現れ、古代インドに釈迦が生まれてそうしたように、仏陀として悟り教えを説いていくのだという。
人々が苦しみを自覚はするが、同時に道徳と平静さが保たれた環境、それが阿含経における弥勒菩薩の出現時期である。
それまではどんな凄惨な事態が起ころうと、下界には不干渉を通す。下界での人類の復興にも彼は全く関与しない。
他の多くの宗教や神秘思想におけるこの世の終りに現われるような「救世主」とは逆に、人間が自力で神々の如き存在となり、理想社会を築いた時、それでも解決出来ない最後の苦しみを解決する為に現われるのである。
大乗経典におけるマイトレーヤ
『観弥勒菩薩上生兜率天経』において、この経典が説かれて12年後、弥勒が地上で無くなった後、兜率天に転生した彼はそこで「五十六億万歳(五十六億七千万歳、という数字は釈迦が未来のおける弥勒の成仏を説いた『菩薩処胎経』の二巻で言及される。)」の年月を過ごす。そしてそこで神々を教え導き救済し、閻浮提(インドを指す神話的表現)に下生する。
この経典には上記の「(弥勒の)下生」の要素だけでなく、「(信徒の)上生」という要素も含まれている。
つまり弥勒の居る天界である兜率天に死後、生まれ変わる事を祈る、という生天信仰である。
善行する事で天界に生まれる事は阿含経にも説かれるが、菩薩の居る世界に生まれる事を望む、という点で浄土信仰と近似した要素があるといえる。
『弥勒下生経』では弥勒出現時の状況が詳しく語られる。「水光」という龍王がいる超巨大な城郭「翅頭城」が存在し、そこには「葉華」という羅刹鬼がおり、諸々の邪悪なる者を除去している。食べ物は豊穣で、不浄は自然に消えていく理想郷である。そこにはやがて「穣佉」という転輪王が現れ、彼に弥勒の下生が知らされる。弥勒は釈迦のように教えを説き、そのもとで阿羅漢になる者も続出する。九十二億人もの阿羅漢が彼の導きで目覚める。
この経の最後では、遠い未来、この状況に立ち会う事が可能と説かれ、そのために精進するようにと語られる。
『弥勒大成仏経』では「弥勒仏国」の有り様が描写される。前述の転輪聖王「穣佉」がこの国に登場する描写から「弥勒仏国」は未来の娑婆国土(この世界)を指すようである。「翅頭城」の別表記らしき「翅頭末城」も登場し、弥勒菩薩関連経典の「弥勒の居る楽園の如き世界」を改めて語り直したような内容である。後半では「弥勒仏」表記が強調され、弥勒仏の時代から見た過去の人物となる釈迦について語るシーンも描かれる。このシーンを説くのもまた弥勒仏の下生を予言する釈迦、という二重構造になっている。
以上の三経典は「弥勒三部経」と総称される。『転輪聖王獅子吼経』と異なり、楽園時代に至るまでの凄惨なシーンは描写されない。このほか『弥勒下生成仏経』 『弥勒下生成仏経』『弥勒来時経』を加え「弥勒六部経」「弥勒経」とも称する。
大乗仏教における弥勒菩薩
瑜伽行唯識学派の開祖とされ、現在でもチベットでの尊崇の篤い同名の僧侶「マイトレーヤ」は弥勒菩薩本人とも見做された。
釈迦の次の仏として「弥勒仏」と呼ばれる関係から、如来形でも仏像が制作される。「弥勒如来」「弥勒仏」の名で本尊とする寺院もある。
京都市太秦の広隆寺にある「弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゆいぞう)」がポーズともに代表的でpixivでもよく描かれる。
このほか、聖観音のように片手に蓮華を持つポーズのものや、両手をねかせて重ねた定印の上に塔を置いた作造例があるが、このタイプの場合、塔を除くと胎蔵界大日如来にかなりそっくりになる。
中国仏教での弥勒菩薩
中国においては、日本では七福神の1人とされる布袋和尚が弥勒菩薩の化身とされる事が有る為、布袋和尚の姿で立像される事も有る。
フィクションにおける弥勒菩薩
メガテンにおける弥勒菩薩
真・女神転生ⅣFINALに初登場。クリシュナが主宰を務める多神連合の幹部格。
外見が金色になったマツコ・デラックスにしか見えないことも話題になった。通称『ミロク・デラックス』。
ガイア教団内にミロク派と呼ばれる派閥を築いており、ユリコ亡き後にガイア教団を掌握した。
「実に哀れだな・・・本来のあり方を忘れ、行動が目的に矛盾している・・・」 という台詞も汎用性が高く、主にネットの荒らしに対する煽りに使われたりもする。
「なむあみだ仏っ!」及び「なむあみだ仏っ!-蓮台 UTENA-」における弥勒菩薩
十三仏の一尊。
釈迦如来の後継者として研鑽しつつ、煩悩との戦いをまとめる釈迦如来の目となり口となり奔走する。
化身・垂迹とされる神・人物
経津主神(抜鉾大明神)