概要
仏教の開祖、釈迦も生まれながらにブッダだったわけではなく、求道の果てに悟りに至り仏になったとされる。
彼の教えをうけた仏弟子たちの一部も悟りを開き阿羅漢になった、とお経には記される。
仏陀や阿羅漢は、悟りを開いたその生涯を終えたあと、次の生を得ることがない(天界を含む輪廻転生の輪の中で別の生き物に生まれ変わることがない)とされる。
史実の釈迦に由来する情報が残されているとされる「阿含経」では阿羅漢になることや、出来ない場合も生天(善行により天界に行く)ことが説かれている。
遠い未来に次の仏陀として現れるメッティヤの存在は説かれてはいるが、信徒全般に対して「仏陀に成る(成仏)」ことを目指せ、という記述は無い。
女人成仏
仏陀(ブッダ)と阿羅漢の違いとして、阿羅漢には女性もいるが、「女性の仏陀(ブッダー)」の存在は阿含経には記されていない。
釈迦より前にも仏陀たちがおり、彼らは極めて長大なタイムスパンを挟んで出現したとされているが、そうした過去仏のメンバーにも女性は一人もいない。
学問的には後世に成立したと見なされる大乗仏教経典でも暫くこれを踏襲していたが、後期密教において女性のままで成仏できるという観点が見られるようになる。
後期密教を伝承しなかった伝統においても「女人成仏」の概念を持つ伝統が存在する。法華経を根本聖典とする天台宗、同じく法華経を依経とし日蓮を開祖とする日蓮宗、日蓮正宗である。
法華経の記述
「女人成仏」の根拠とされるのは、「提婆達多品第十二」という章にある記述である。
海中で法華経の教えを説いていたという文殊菩薩は、彼が知る龍女について語る。彼女は娑伽羅(サーガラ)龍王の八歳になる娘である。彼女は深く仏教の真理を体得し、不退転(菩薩の境地が深まり、将来仏となることが定まること)を得、菩提(悟りの境地)に至ったという。
彼と話していた智積菩薩(プラジュニャー・クータ)という別の菩薩はそんなことは信じられない、と言う。
釈迦如来も無量劫、永劫の過去から菩薩として修行し、数多の世界で転生を重ねてきたのに、そんな須臾(ごく僅かな時間、一瞬に等しい)の間に正覚(仏の最高の悟り)を成すとか信じられんわ、と言う。
その時、当の竜女が出現し、偈文を唱える。仏が備える身体的特徴(三十二相八十種好)を賛美し、竜神を含む、天(神)・人間も仏を深く讃え敬うことを語る。そしてその教えを聞いて菩提を得ることは仏のみが証知すること、自身も大乗の教えを説き衆生を説くことを。
そこに舎利弗(シャーリプトラ)長老が現れて論難する。女性の身体は垢穢であり、法器(法をおさめる器)ではない。どうやって無上の菩提を得るのか。そして女性がなれない五つのもの(梵天王、帝釈、魔王、転輪聖王、仏)「五障」を挙げる。
そこで竜女は、身に帯びていた、三千大千世界に等しい価値があるという宝珠を釈迦に捧げた。竜女は智積と舎利弗に「世尊(仏)が速やかに受け取られたか」と確認し、その様子を見ていた二人は当然肯定する。
そして竜女はその様子よりも速やかに成仏を示そう、と両者に対し宣言する。
次の瞬間、竜女はたちまち男子へと変じ(変生男子)、菩薩として南方の無垢世界に往き、蓮華上に座し、等正覚(仏陀、またその悟り)を成し、三十二相八十種好を備えた者として真理の教えを語った。
そしてその様子はその場に居合わせた神々や、人間、また人間で無い聴衆も遙か遠く(この世界)から見ることができ、彼らは引き返すことなく悟りを求める心、道の記(将来に悟りを得る保証)を得た。
その様を見せつけられた智積菩薩と舎利弗長老、周囲の衆会たちは押し黙り、信じて受け入れた。
変生男子
法華経の、現存するサンスクリット語本では男子となるくだりがより具体的に記され、女性器がなくなり男性器が生じる様が描写される。
仏(如来)が備える身体的特徴「三十二相八十種好」には「馬陰蔵相」という男性器が元々あることを前提とするものが存在する。
このこともあり龍女は男性化することで(そのように肉体を変化させる超自然的能力もあったので)成仏ができたともとれる。
逆に、上記のように、それまでの会話内容は、龍女が既に悟りを得ているかのようでもある。やりとりの後に女性のまま成仏したとしても、(男性器がありそれが馬のように収納され見えなくなる、という)「馬陰蔵相」と相矛盾してしまう事に変りは無い。
もともと法華経は比喩を多用する経典であり、解釈の分かれるところである。
天台宗の開祖・智顗や日蓮は、龍女成仏のくだりを、全ての女性が女性のままで成仏できるという意味であると解釈し、女人成仏を説くことを法華経の至上性の根拠の一つとした。
日蓮は、龍女の種族が超常的存在、ナーガであることも「法華已前の諸経の如きは縦(たと)い人中・天上の女人なりといふとも成仏の思絶(た)たるべし、然るに竜女・畜生道の衆生として戒緩(かいかん)の姿を改めずして即身成仏せし事は不思議なり、」(女人成仏抄)と「全女性の成仏を可能とすること」をむしろ後押しするものと認識している。
後期密教
大乗仏教の多くの伝統においては女性の菩薩(多羅菩薩など)の存在が語られ、男性同様に成就者となる女性も記録されている。
「仏母」といった女性的な名称を持つ尊格も居るが、殆どは「智恵」等の抽象原理の擬人化である。三世覚母と呼ばれる文殊菩薩は男性の菩薩である。
後期密教経典「無上瑜伽タントラ」の一つ『秘密集会タントラ』第十三章において、女性は男性への変化を経なくても、女性の身体のままで、そのままで成仏できる、という教えが説かれた。
後期密教を継承したチベット仏教においてゲルク派開祖ツォンカパ(1357年 - 1419年)は『秘密集会タントラ』のこの一節を引き、他の経典では否定される女人成仏も「無上瑜伽タントラ」の修行でなら可能であると説いた。
その後タプ・ドルジェチャン・カルキオンポ(1765年 - 1792年)によってチッタマニターラ(Citta Mani Tara)尊が感得され、最初に成仏した女性とされる。
無数劫の過去に、世間界種々光という場所で鼓音仏というブッダに帰依したジュニャーナチャンドラという王女がいた。比丘たちは変生男子を薦めたが彼女は断り、男性の身でもって悟ろうと者は多いが、女性の身で衆生を救済する者はいない、語り、自分自身がそのような存在となる事を誓った。そして気が遠くなる程の時を経て女性のブッダとなったのがチッタマニターラ尊とされる。
比喩でも象徴でも擬人化でもなく、釈迦如来や阿弥陀如来のように人格を持ち自分の意思でもって行動する仏と認識されている。
通用
日本においては「未練を残さずに霊魂が死の世界へ旅立つこと」(メイン画像)。この場合、基本的にその霊魂の死後の行き先は天国であるとイメージされる。
天国(天界)は仏教においては六道輪廻の一部であり、天界の住人は、輪廻から脱し再度転生しない仏や阿羅漢とは異なる。
死んだ後に未練の残る霊は幽霊や悪霊として現世に残るが、それらが未練を果たす、もしくは強制的に消滅させられるなどして死の世界に向かうことを成仏と呼ぶ。単に死の婉曲表現として使用されることもある。