概要
転じて「華と散る」と訳すことで太平洋戦争時に戦死という単語をぼかし美化する際に使用されていた。所謂大本営発表の一つ。
勘違いされやすいが、『スカイ・クロラ』シリーズに登場する戦闘機は「散香」であって散華ではない。
アカツキ電光戦記またはエヌアイン完全世界では
ストリートファイターシリーズにおける「あけぼのフィニッシュ」に該当する演出。
雌雄を決するラウンドで「特別攻撃」以上の大技でフィニッシュすると、背景が一色に染まりシルエット化したキャラクターをバックに「散華」と画面全体に表示される。
結城友奈は勇者であるでは
友奈達に隠されていた勇者システムと満開の真実。
勇者は満開を使用すると『散華』と呼ばれる現象を起こして身体の機能の一部を損失する。
どの身体機能を失うのかは実際に散華するまでわからない。
失われた身体機能は勇者達を守護する神樹に供物として捧げられる。
なら満開を使わなければいいじゃないかと思うだろうが、満開は戦闘行為によって溜まる「満開ゲージ」が最大になると発動するというシステム上、(ある程度ずらす事はできるものの)発動自体を止める事はできない。
しかも、散華の度に増える精霊によって、勇者は死ぬ事ができなくなる。
つまり、勇者は戦いの果てに体の機能を失っていくという生き地獄を味わう宿命にあるのである。
しかし、勇者達を支え神樹様を祀っている「大赦」は、これを隠したまま勇者達を戦わせようとしていた。乃木園子曰く、大赦なりの気遣いだったようだが、結果としては勇者達を騙して戦わせていた事になる。
一方アニメ版『鷲尾須美の章』では乃木園子、及び鷲尾須美の家族に安芸先生が散華に関して話している場面がある事から、勇者の家族には散華の詳細を知らせている模様(この事からおそらく『結城友奈の章』でも裏側で同様の事をしていると思われる)。
そして当然の帰結であるがその詳細を聞いた1人は「あの子達はまるで生贄じゃないですか!」と悲痛な声を上げた。
ただ、散華の度に精霊が増える関係上満開を行う度に新たな能力を得るので、「満開をすると強くなる」という点は間違っていない。事実、満開を20回も行った園子は、体の大半の機能を失う代わりに強大な力を得ている。
また、満開が登場する前に戦っていた過去の勇者達は、戦闘によって多数の戦死者を出し「生きろ。ただ生きてくれ」という言葉さえ残していた事を踏まえると、精霊により致命傷を負わなくなり、死ななくなる事が一概に悪いとは言えない部分もある。
生きるためには大きな代償を支払わなければならない時があるあるいは未来への希望も行き過ぎれば呪縛と化してしまうという現実にも通じる点を描いているのが、散華のやるせない所である。
『結城友奈の章』最終回にて全員が最後の満開をした後は散華が起こらず、その後捧げられていた身体機能も回復した(これは返されたのではなく作り直されたことによるもの)。
『勇者の章』では散華がなくなった代わりに、精霊は最初の1体のみになって増えなくなり、最初から溜まった状態の満開ゲージが精霊バリアを使うごとに消費する形式になり、満開は満開ゲージが満タンの状態(つまり精霊バリアを一度も使っていない状態)でなければ使用できなくなった。
逆に言えば、満開の使用後は精霊バリアが使えなくなる。しかもゲージは変身しなおしても回復しないので、満開は一回しか使えない(メモリアルブックでは、神樹の寿命が迫って力が弱っている事が影響しているかもしれないと説明されている)。
精霊バリアは変身していない時に使用してもゲージを消費するので、犬吠埼風は交通事故に遭った際ゲージを一つ消費してしまい満開を使用できなかった。
終盤では、人として生きる勇者達の思いを受け取った神樹が、自ら満開・散華する事を選ぶ。
『ゆゆゆい』では、嫉妬や笑えないジョークなどで暗い表情になった時、怖い表情を作った時、愕然とした時、極端に疲れた時、特定の相手がいない禁断症状が起きた時などで、目が散華する事がよくある。また、開幕初っ端から目が散華する者もいた。
時系列的に散華が登場しない『烏丸久美子は巫女でない』においても、「相手の気持ちに寄り添わないまま一方的に助けようとする」展開が見られ、結果自身の思いを踏み躙られる形で生き延びた少女の姿は、後の散華に繋がる要素ともとれる。