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安芸先生

あきせんせい

安芸(あき)先生とは、『勇者であるシリーズ』第1弾のイラストノベル『鷲尾須美は勇者である』に登場するキャラクターである。
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概要編集

大赦の人間。勇者をサポートするため、神樹館で須美達の担任教師をしている。クールで厳しいが生徒への愛情はあるため、怖がられてはいるが、嫌われてはいない。

(アニメ『結城友奈は勇者である -鷲尾須美の章-』キャラクター紹介)


プロフィール編集

※劇場版3章のパンフレットより。


人物像編集

「1+1+1を、3ではなく、10にするのよ」


鷲尾須美乃木園子三ノ輪銀クラス担任を務める女性教師であると共に、勇者教官・お目付役も務める大赦の人間。フルネームは不明。

クールで厳しいが、生徒には愛情を持って接している。担任クラスの生徒ではなかった山伏しずくにも一人でいたときに気にかけて時々話をしていた。ピーマンが苦手という一面も。また、お笑い好きで結構うるさい面もある。

意外とスタイルもよく、驚いた須美は戦艦「長門」に例えていた。人間の女性を戦艦に例える須美の感性はなかなか独特だが、視聴者にはこちらを連想した人も多かったようである。


園子の夢の中では、(1年生とのレクリエーションで「やりすぎ」と怒られた後だからか)国防仮面の格好をして登場。


「フハハハハ…!あなた達は、下級生を洗脳した責任として、一週間うどんを食べることを禁止します…!」


その宣告にショックを受けた園子が悲鳴を上げたところで目を覚まして我に返り、悲鳴を真に受けた須美と園子に対して銀がツッコミを入れ、カオスな夢は終わるのだった…


また、スピンオフ『鷲尾須美は勇者である外伝 勇者行進曲』では、讃州まで行ってしまった3人に対してとても心配していたらしく、「すっごく探した」と(涙まで流して)かなり怒ったらしいことが「大橋に戻った後にいろいろあったこと」の一つとして挙げられている。


作中での動向編集

3人の勇者の身を案じている故に、銀が戦死した際は、残された2人と共にその死を悼み、また、勇者システムの改良で「満開」が実装されるにあたっては、隠された代償の重さに心を痛めていた。仮面で素顔を隠し、感情は声の調子からしか窺えない大赦の関係者たちにも、人間としての悲しみや葛藤があることを表現した人物といえる。


アニメ『鷲尾須美の章』では、もはや動くことすら出来ない身体となってしまった園子が神輿に乗せられ運び込まれるラストシーンが、彼女の(明確に判明している限り)最後の登場なのだが、仮面を付ける直前には、銀の告別式ですら見せなかった涙を見せている。

なお、普段は眼鏡をかけているのだが、仮面を付ける時には外している。仮面を付けるにあたって邪魔になるのでコンタクトレンズに変えたか、あるいは伊達眼鏡であった可能性がある。

Smiling Aki-sensei.


楠芽吹は勇者であるにて編集

『鷲尾須美は勇者である』の2年後の物語である『楠芽吹は勇者である』には、防人たちに大赦の指示を伝え、教室での授業も受け持つ仮面の女性神官が登場するが、「正体は安芸先生なのでは?」と推察するファンはかなり早い段階から存在していた。そして最終話で銀の名前を挙げ、お目付役かつ学校の担任であったことが明言されたことで、彼女が安芸先生であることは決定的となった。


いかなる時も仮面を外さず無感情に行動しており、加賀城雀曰く「仮面越しでも冷たい視線が刺さる」「きっとロボットか何か」。とはいえ、最終話にて誰一人犠牲にならない道を目指すと決めた楠芽吹の事は純粋に評価している。また、しずくはいつからなのかは不明ながら正体を知っていた様子。


『結城友奈は勇者である 勇者の章』にて編集

台詞こそないものの、前髪がよく似た仮面の女性神官が度々登場。こちらも第5話で初めて台詞を発し、園子から指摘されて安芸先生であることが確定した(クレジット上ではあくまで「大赦神官」)。

安芸先生のトラウマである

しかし、仮面を外すことはせずに感情を押し殺した冷淡な口調で話しており、大赦の人間としての立場を崩すことはなかった。

この時、結城友奈神樹との「神婚」に臨もうとしていることを巡って勇者部と対立したことを非難する視聴者もいるが、神婚も大赦側なりに最善の手段を考えた結果であり、「対立せざるを得ない状況に(大赦と安芸先生が)追い込まれていた」という方が正しい。

くめゆの展開を知る視聴者からはわざと勇者部をたぎらせる発言をしていたのでは、という考察や、大赦神官は勇者に対して敬意と形式をもって接するのが常だが、会話の中で一瞬だけ、その形式が崩れた(「そうよ」と丁寧語ではなかった)場面があり、ここに安芸先生の心の内を垣間見ることができる、との指摘もある。むしろかつての教え子に苦しい決断をさせなければならない状況に陥っている彼女の心情を心配する声もある。

メモリアルブックでは『勇者部員たちの前では、穀然とした大赦の人でありましたけど、どこかに信仰へ踏み切れない、人としての葛藤があったんでしょうね』と書かれている。『大満開の章』での神官同士の会談シーンでは、神婚について一人疑問を投げかけていた。

最終話では遂に仮面が外れて素顔が露わになるシーンがあり、クレジットの表記も「安芸先生」となった。ラストではなぜか右目に眼帯を着けていた(大赦の面々が神樹の贄となった際に右目から砂化しており、その後遺症と思われる)。

加えて、ラストには安芸先生のモノローグも入っている。


しかし、これでいいのだ。

私は、彼女らの選択を誇らしく思う。

新しい時代は、子供達のためのものだ。

大人達は責任を背負っていこう。

そうでなければならない――


銀の墓前に墓参りに訪れた東郷と園子の陰で涙を流していたのが最後の登場シーンであり、(勇者部との関係がどうなったのかも含む)その後は描かれなかったが、『結城友奈は勇者であるA』にて東郷や園子と話をしていた事が描かれており、全てが終わった後も交流はしていたようである。ただ、この時も負い目からか敬語口調になっていた。

勇者たちの希望の明日合同 参加原稿

『大満開の章』最終話ではこの辺りがより掘り下げられており、銀の墓参りに訪れた東郷と園子を見て陰ながら去ろうとしていたところを呼び止められると、今までため込んでいた思いを吐き出すように涙しながら謝罪していた。

その後も園子に協力し、その際には「園子様…いえ、乃木さん」と言い直した上で担任時代のタメ口口調に戻っている。エピローグでは大赦の宗主となった園子の隣に姿があり、側近になったものと思われる。


余談編集

原作では名無しのモブキャラであった(よって容姿もはっきりしていなかったため、原作に準拠した漫画版『鷲尾須美は勇者である』では容姿が全く異なっていた)のだが、アニメ化に先立ち名前が与えられ、小説作品でも「落花枝に返らず、破鏡再び照らさず」にて逆輸入された。

勇者であるシリーズの映像作品にて名前付きで登場する大人キャラは、現時点で安芸先生が唯一である(「名前付きの大人キャラ」というだけなら、三好春信烏丸久美子がいるが、前者は会話の中で名前が挙がっただけで劇中未登場、後者はメインキャラではあるが小説作品のみの登場である)。

ただしアニメ先行上映後に登場した『花結いのきらめき』では原作準拠のため名無しのままで、声のみの登場となった。幸いモブ扱いされたことやそれほど課金を煽ってくるような内容になっていないためか、某所同じ声の事務員の如く(ある意味バーテックス以上に)恐れられる、ということにはならなかった。

ただし、「花結いの章」第3話のストーリーでは銀が安芸先生の名前を言うシーンがある。「花結いの章」第18話では『乃木若葉は勇者である』に登場する巫女安芸真鈴について触れられた際に東郷が「お目付け役だった先生の名前も安芸だった」と語り、ひなたに「子孫なのかもしれない」と推測されていた。なお、真鈴も安芸先生と同様にピーマンが嫌いである。


上述の年齢から逆算すると彼女はバーテックスが再び壁の外で確認された神世紀270年頃、神世紀272~273年の生まれとなる。


関連タグ編集

勇者であるシリーズ 鷲尾須美は勇者である 大赦

烏丸久美子:『上里ひなたは巫女である』に登場する、安芸先生と似たような立ち位置のキャラ。ただし性格は真逆である。

御坂美琴:中の人が同じ。『花結いのきらめき』でのコラボイベントで勇者達と共演したため、ファンからは安芸先生と絡めた反応も多く見られた。コラボイベント中でもしずくに「御坂の声を聞いていると何だか安心する」と言われている。

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