ボクは凡人だ。
身長はクラスの女子の中でちょうど真ん中くらい。学業成績も真ん中。運動能力も真ん中。平凡な両親の間に生まれ、平凡な家庭で育った。特別な過去もなく、特別な秘密もなく、特別な能力もない。
ボクは凡人だ。
絵に描いたような凡人だ。
(中略)
どうしてボクは特別じゃないんだろう?
どうしてボクはこんなにも力がない凡人なんだろう?
概要
プロフィール
人物像
絵本作家を夢見る、内気で人見知りしがちな少女。それ故に1人で抱え込みやすい面はあるが、自分より年下の子供を守ろうとする際には芯の強さも見せる。
上述の通り、出自・能力・容姿に目立った特徴は特にない「凡人」。
一人称はボク。過去に何かあったのか、血を見るのが苦手な様子。また、勉強は苦手。
物語は、茉莉が絵本にしようとしているオスカー・ワイルドの童話「幸福の王子」の一文が毎回冒頭に引用されている。
プロフィールにある通り、好きな食べ物はうどんでも蕎麦でもラーメンでも沖縄そばでもないそうめんであるが、本編でこの設定が活かされる事はなかった。
出身が高嶋友奈と同じ奈良県であり、謎多き彼女の過去に何か関係しているのではないかと思われるが、果たして…?
※以下ネタバレ注意
その正体は、高嶋友奈を導いた真の巫女。
バーテックスが襲来した「七・三〇天災」時に友奈と出会って行動を共にしており、彼女の事を「ゆうちゃん」と呼んでいる。
作中で14歳と自ら言っているシーンがあり、少なくとも誕生日は7月30日以前のようだ。
友奈と出会う直前、両親を目の前で星屑に喰い殺されている。血を見るのが苦手なのはこの事を思い出してしまうため。
本人はそれを自分のせいだと思っており、その分誰かを助けないと釣り合いが取れない、自分が許せないと考えている所から、強烈なサバイバーズ・ギルトに苛まれているのが窺える。
バスでの逃避行の中でいつか必ず元の生活に戻れる事を信じつつも、自分より年下の友奈がバーテックスと戦う事を心配し、できるだけ戦わないようにしたいと思っている。その点において、友奈の事を「世界を救う勇者」ではなく「普通の少女」として見ていた唯一の人物であった。
しかし、内気な性格が災いして十分な話し合いができなかったため、事ある度に戦おうとする友奈とは対立とまでは行かないもののすれ違い続けた(茉莉にもその自覚はあった)上に、早く脱出したがる同乗者達から事ある度に反発を買い、烏丸久美子にも利用される隙を与えてしまう。
こうして茉莉への風当たりは次第に強くなっていき、遂には戦ってでも近道をすべきという考えに傾き出し無理矢理茉莉を従わせようとする同乗者達から暴行されてしまう。それでも茉莉は「いつか平和な世界に戻った時に罪を犯した事を後悔しますよ」と説得しようとする。最終的には傍から見ていた久美子に助けられたが、その暴力に屈しなかったほど平穏を強く願う姿勢が彼女を悪い意味でたぎらせてしまう事になった。
そして、暴走を始めた彼女によって自分の力が悪用されていた事、友奈と違いどこまでも平穏な世界を望んでいるが故にバーテックスが蔓延る目の前の現実を受け入れられていない事を知らされた上、力で従わせろという誘いに乗った友奈も呆気なく組み伏せられた様を見た茉莉は…
「(前略)それでも、普通に生きる方がいいに決まってる! ゆうちゃんも、そして久美子さんも、普通に生きる方がいい! 普通に生きることを悪いことみたいに言うな!」
「ゆうちゃんを連れて行くな! 連れて行くなよ!」
それまでとは打って変わって声を荒らげ、果敢に久美子に戦いを挑んだ。
力の差は歴然としていたが、凡人と侮られていたからこそ見抜かれない奇策を使って久美子の左腕にペンを突き刺した。
そこから血が流れるのを見ても構わずに。
結果、久美子は負けを認め、四国へ向かわせる事に成功する。
そんな彼女を、茉莉は許した。
彼女は快楽主義者のように見えて一線は超えないようにしていた事を見抜いていたから。
それは、バスにいた誰も見ていなかった、戦わない者達の誰も知らない戦いだった。
その後、尾道大橋で上里ひなたと対面。彼女からは巫女と見抜かれていたが、やっと平和になると信じていた矢先でまた戦いに身を投じる事に反対し大社への加入を拒否。しかし友奈が大社に加わって戦う事を承諾したため一度はついて行こうとしたが、巫女の過酷な将来を察した久美子に無理だと言われて庇われる形で、巫女ではなく避難民として四国に受け入れられる事になり、友奈と別れさせられる。
不本意な形での別れに、茉莉は「ボクは、一体何だったんですか…?」とただ立ち尽くすしかなかった(久美子はその疑問に一応答えたものの、茉莉自身には届かないとも思っていた)。
このような経緯から久美子が友奈を導いたという事になった(『花結いのきらめき』において、友奈自身もどこか複雑な表情で自分の巫女は久美子だと答えている)ため、大社には加わっていないし、当然ながら『結城友奈は勇者である 勇者の章』に登場した英霊之碑にも名前がない。後に久美子は、仮に巫女になっていたとしてもひなた達と対立する立場になっていたかもしれないと語っている。
その後も久美子の元には一年に一冊自作の絵本が届いているが、再び直接顔を合わせた事は一度もなく、具体的な動向は不明なまま本編は終わってしまったものの、神世紀29年には夢を叶えて絵本作家となり、「すず」という名の中学生の娘を授かっていた。彼女の年齢から逆算すると、出産したのは33~34歳頃、つまり七・三〇天災からおよそ20年後という事になる。
勇者であるシリーズの登場人物で明確に母親となった事が判明したのは茉莉が初である。ただ、作中では夫に関する描写が一切なく結婚しているのかどうかも明言されていない。また、後に娘はかなりの高嶋友奈フリークとなっている事も判明したが、その事を知っているのかどうかも不明である。外見についてもほぼ描写がないので、ファンアートで描かれる時は専ら中学生時代と変わらない若々しい姿で描かれている。
尾道大橋から続く来島海峡大橋の足元たる、愛媛県今治市波止浜駅近郊に住んでおり、大橋付近の浜辺にはよく訪れていたらしい。柚木友奈の母・亜紗とは友人同士であり、娘の友達の知り合いとして訪れてきた芙蓉・リリエンソール・友奈の事は彼女から話を聞いて知っていたようだった。第二の友奈と会話を交わした茉莉は何を思ったのだろうか…
年を重ねた結果か一人称は「私」に変わり、女性語も使うようになっているが、この時点でも友奈を失った悲しみが癒えていないのか「友奈を勇者にした事は間違いだった」という考えは変わっておらず、友奈を大社へ連れて行った久美子の事は今でも憎んでいると語り、彼女に対する言動は以前にも増して刺々しい(とは言いつつも、自宅に上がり込んでお好み焼きをごちそうされる事は拒まず受け入れ、あくまでも冷静に自らの意見を主張するという「大人の対応」をしている)。
それでも、久美子に今幸せかと問われた際は迷いなく「幸せです」と答えている(偶然か否か、『勇者の章』にてある人物が同じ質問に動揺しながら「幸せだよ…」と絞り出したのとは対照的である)。
なぜそう答えたのかは語られないまま、以下の台詞で物語は締めくくられる。
「それに、いつ来ても私の答えは変わりません。死ぬ間際でも、笑顔で『幸せだった』と答えてあげますよ」
彼女の願いは友奈に届く事こそなかったが、およそ300年後のほとんど同一人物が真に叶える事となる。
なお、第三の友奈が活躍した神世紀72年でも存命だったかどうかは定かではない(生きていれば89歳になるが、この年は「バーテックス襲来を実体験した世代」の最後の一人が老衰で亡くなったとされている)。
大人達のエゴに翻弄された「凡人」
茉莉はこれまでのシリーズの人物達と異なり、状況が状況だった事もあって人間関係に全くと言っていいほど恵まれておらず、加えて明日をも知れない状態で閉鎖的な環境に踏み込んでしまった事も重なった結果、
- 友奈を戦わせたくないと訴えても、誰も賛同しないどころか、友奈本人にさえ理解されない
- 味方だと思っていた久美子には陰で自分の力を悪用され、状況を悪化させられる
- 助ける事ができた人はいるものの、その事を感謝される場面が一度もない
- 周囲から弱腰だと思われて理不尽な罵言を浴びせられ、遂には暴力を振るわれる
- 久美子を止めるためとはいえ真っ当に生きていれば絶対にしない行為に手を染めてしまう
- 久美子と何とか和解できたと思ったら、最後の最後であっさり裏切られる
- 自分の気持ちを無視される形で友奈と別れさせられ、そのまま死に別れになってしまう
と、かなり不幸な目に遭い続けており、自身の行いが最後まで報われる事はなかった。結果論ではあるが、後に友奈がした行動も踏まえると、踏みにじられた茉莉の願いは世界を救うためには必要な犠牲だったという点もまたやるせない。
友奈がバーテックスと戦う力も意欲もある存在として大人達から持ち上げられていたのに対し、友奈の身を案ずるが故に戦いに消極的な茉莉は弱腰と非難された末久美子の独断で友奈から引き剥がされたという点では、大人達のエゴを一方的に押し付けられた被害者と言える。これでは作中で発言したように「世界を維持する時間稼ぎのために友奈を無駄死にさせた」ともとれる大社および久美子の無責任さに不信感を抱くのも無理はない。
勇者であるシリーズで最も孤独だった少女とも言える経歴を踏まえれば、家庭を築いて平和に暮らせるようになったのは十分報われている方ではある。
ただ、再会時も久美子に対して幸せとは言いつつ、30年以上経って尚彼女との関係にはしこりを残したまま、(かつてひどい目に遭わされた相手に事情を知らない子供達と、明かせる相手がいなかったという事情もあったとはいえ)自身の本心もほとんど明かされない、娘の名が英霊之碑に刻まれているものと同じ、と不安材料を多く残しており、どこかすっきりしない終わり方であった。
さらに、後に判明した娘のその後もまた…
このような経緯から、茉莉の結末は普通の人間として日常に戻り夢を叶え家庭も築けたグッドエンドとも、現実を思い知らされた末に普通の人間として生きる事を強いられたバッドエンドともとれるものになっている。
考察
茉莉はあまり自己開示しないキャラであった事もあり、「凡人」という設定に反して謎が多い。
特に終盤では心理描写が少なく何を考えているのかがほとんど明かされなかった上、母になる結末も伏線一切なしの唐突なものであったため、ファンからは「力を得たのに世界を救う御役目に参加しないのはいかがなものか」「あれだけ心配していた友奈の事をあっさり諦め自分だけ平和な世界へ逃げたように見える」と批判される事がある。
ただ、茉莉はあくまで友奈を含む年下の子供を助けたかっただけであり、巫女になる気は最初からなかった(友奈が大社入りを決めた時も、ついて行くと言っただけで巫女になる事を承諾してはいない)。茉莉が巫女の力をどう思っていたのかについては描かれていないが、それは自分が望んだものではなかった可能性もある。
そもそも子供の身で世界のために戦い導く御役目につく事自体が異常なのだから、受け入れられないのも当然というもので、むしろそれを平然と引き受けた友奈の方が異常である(実際、久美子も友奈との会話で「普通の子供にそういう事はできない」という趣旨の話をしているし、後の時代の防人にも戦いの恐怖に耐えられず1回だけでリタイアしてしまった者が何名かいる)。
それを踏まえると、友奈を含む他の人物達が勇者や巫女に「なるべくしてなった」者ならば、茉莉は巫女に「なってしまった」者でしかなく、これでは良くも悪くも勇者気質な友奈について行けずにすれ違うのも必然と言えるだろう。
加えて、作中の展開を振り返ると、茉莉は物語開始時点から既に巫女として周囲を導く役目を担えるような精神状態ではなかったとも考えられる。
多感な時期に家族も故郷も全て失って大きなトラウマを背負い、誰かを助けないと釣り合いが取れないという強迫観念に駆られていたほど心乱れた状態では、正しく人助けができるはずもない。
そのため友奈を戦わせない事に固執するあまり彼女を含めた周囲の気持ちを理解し配慮しようとせず、事態を悪化させている事に気付かないどころか、そうなる事を予想すらできなかった。精神的な余裕を既になくしていた茉莉は、周囲に「子供の甘ったれた理想論」を押し付けてしまっていたのである。
仮にメンタルが正常だったとしても、元来内気で人見知りな性格の茉莉がバスの人々をうまくまとめ上げられたとは想像し難く、言わば本調子じゃない状態で苦手な役目を強いられてしまった事が大きな不幸だったと言える。
久美子には過酷な非日常の中でも「平凡」と自称し続けた茉莉の姿を「『普通』を保ち続けたという異常さ」と言わしめたが、「普通」を保ち続けるためにかなり無理をしていたという意味にも捉えられる。それは皮肉にも、友奈がしている事を危惧していた自己犠牲そのものであった。
とはいえ茉莉は基本的に良識的だった分まだいい方であり、周囲の大人達の余裕のなさは彼女の比ではなかった。久美子に至ってはそこに付け込み陰で己の快楽のために利用する有様である。
さらに、友奈でさえ「盤面の表と裏ほど隔たっている」と久美子に評されたほど考えが違っていた事から理解者になれておらず、元来の性格が災いして周囲に助けを求める事ができない茉莉は結果として孤立してしまった。
すなわち、茉莉にとっては久美子達と共にバスに乗ってしまったのが運の尽きだったのだ。
ただでさえメンタルがボロボロの状態で過酷な環境へ放り込まれてしまった結果、自分の立ち位置もすべき事も学べないまま孤立無援で人助けを続けようとし、しかも同乗者に天恐の発症者が出始めたタイミングで男から理不尽な暴力を受け、それがきっかけで久美子が暴走と立て続けに事件が起きたため、茉莉は久美子が友奈を攫おうとした時点で、精神的にかなり追い詰められてしまっていたと考えられる。それでも無理して“戦い”続けようとすれば(見ようによっては「罪を犯した事を後悔しますよ」という発言が跳ね返って来かねない)暴挙に及んでしまうほど情緒不安定になってしまうのは当然である。
このまま茉莉が無理をし続ければ、遅かれ早かれ彼女の精神が持たなくなるのは明白であり、久美子が無理矢理にでも巫女の御役目から解放したのは結果的には正解だったと言える。そして茉莉がそれに抵抗しなかったという事は、もはや抵抗さえできなくなるほど心身が疲弊していたのかもしれない。
戦いたくないのに戦わざるを得なくなり心に深い傷を負った茉莉に対して、「御役目から逃げた」「友奈を見捨てた」などと非難するのは、あまりに酷というものである。
それでも、茉莉の行動があったからこそ友奈達が全員無事に四国へたどり着けたのは事実であり、そこは久美子からも認められている。一歩間違えれば最悪な結末となってもおかしくなかった経緯を踏まえれば、『奇跡』と言っても過言ではないだろう。
『乃木若葉は勇者である』における友奈の日常を見ればわかる通り、茉莉が望んだ友奈の平穏も(一時的なものとはいえ)つかみ取っている。
次々と理不尽な目に遭い続け肉体的にも精神的にも追い詰められながらも、久美子の慈悲で日常へと帰され、それを友奈が命を犠牲にしてでも守り抜いた事で、「特別な人間」ではなく「1人の女」として成長し夢を叶えて家庭を築き久美子と対等に議論できるほどの大人になった茉莉は、間違いなく報われた方の人間ではある。
「子を産み育て未来へ託す」という女にしかできない役目を果たしたという点では、勇者達とは違う形で(あるいは女として本来あるべき形で)バトンを繋いだとも言える。
茉莉は「強い人間」ではないが「弱い人間」という訳でもない、まさしく「凡人」であったのだ。
「力を得たなら英雄になる運命を受け入れるべき」という英雄譚にありがちな価値観では割り切れず、「いきなり力を与えられて英雄になれと言われてもできないのが普通」「英雄になれなくても幸せになれる」という現実を描いた彼女の人生は、それ自体が英雄という在り方に対するアンチテーゼになっていると言えるだろう。
久美子「──横手茉莉は普通の人間なんだよ。大義よりも身近な幸福が重要で、見ず知らずの他人が傷つくことには鈍感でも自分や身内が傷つくことには敏感で、未来の大きな幸せよりも今のちょっとした幸せが重要な……そういう普通の人間なんだ」
花結いのきらめき
その独特な立ち位置から、「参戦したら絶対話が重くなる」「そもそもゆゆゆいに参戦できるのか」とファンの間で議論になっていた。無論、参戦を期待する声もあったのだが、実現しないままゲーム自体サービス終了が決定した。
ただ、ゲーム中の勇者史外典のタイトルコールに実装されたどのキャラのものでもない声によるものが混じっている(参考)という報告が挙がっており、「茉莉の声なのでは?」とも推測されているが公式からのコメントは一切なく、真相は神樹様のみぞ知る。
その後ゆゆゆいは新規書き下ろしシナリオ追加の上でコンシューマー化が決定したため、参戦の可能性はまだ残されているが、果たして…?
余談
- 2015年時点で中学2年生(古波蔵棗、郡千景、安芸真鈴よりも2学年上、上里ひなたは巫女であるに登場した巫女、大和田よりも1学年上)であるため、現時点でこれまでの勇者であるシリーズの巫女達の中で一番の先輩である。
- 後に友奈が出会う千景とは、「黒髪(ただし茉莉はやや緑みがかった黒で描かれている)」「内気な性格」「絵がうまい」「友奈よりも年上」など共通点が多く、「勇者や巫女も1人の人間でしかないという点を負の側面から体現した存在」という点でも同類と言える。もっとも、直接的に受けた被害は茉莉の比ではないのだが。
- 穏やかなものではあったが「友奈と修復不可能なすれ違いを起こす」という点では東郷美森にも似た部分がある。こちらも黒髪で髪型も似ている上、絵もうまい。
- 本作のサブキャラクターにはルリちゃんという茉莉に助けられる少女がいるが、名前はルリマツリ(瑠璃茉莉)に由来すると思われる。彼女は中盤以降登場しなくなり、本編後の消息も不明だったが、『芙蓉友奈は語部となる』にて藤井瑠璃という、その後の彼女と思われる人物が登場しており…
関連タグ
楠芽吹 - 勇者に選ばれなかったがそれでも信念を曲げずに勇者になろうとした結果、周囲から勇者のような存在と認められ、御役目に殉じようとした年下の友人を救い出した、ある意味茉莉が成せなかった事を成し遂げた人物。そして、茉莉が投げかけた勇者の在り方に対する疑問への「答え」を出した人物でもある。
天馬美咲 - 茉莉の登場から僅か一か月後に別の作品で登場したボクっ娘の巫女。ただ、こちらは「巫女になろうとしたがなれなかった」存在であり、それに執心したせいで一悶着起こしているという違いもある。仮に茉莉が友奈について行く事に固執しても、彼女のようになってしまっていたかもしれない。その点で、芽吹が「茉莉の理想」を体現した者なら、美咲は「茉莉の影」を体現した者と言えるかもしれない。
秋原雪花 - 同じ時代の勇者で、家族を失い頼れる人が誰もいない中で醜い大人達の姿を目の当たりにしたという共通点がある。ただし彼女はそんな大人達に失望こそしていたが情を捨てきれず最後まで勇者として戦い抜いている。
藤森水都 - 同じ時代の巫女で、状況が状況で巫女としての訓練をろくに受けられなかったという共通点があるが、こちらは勇者との関係が良好であった事もあり、結果的に3年も持ちこたえられたという点で(本人は謙遜しているが)高い実力を発揮できている。