ボクは凡人だ。
身長はクラスの女子の中でちょうど真ん中くらい。学業成績も真ん中。運動能力も真ん中。平凡な両親の間に生まれ、平凡な家庭で育った。特別な過去もなく、特別な秘密もなく、特別な能力もない。
ボクは凡人だ。
絵に描いたような凡人だ。
(中略)
どうしてボクは特別じゃないんだろう?
どうしてボクはこんなにも力がない凡人なんだろう?
概要
プロフィール
出演作品 | 烏丸久美子は巫女でない |
---|---|
肩書き | ??? |
性別 | 女性 |
年齢/学年 | 14歳/中学2年生 |
誕生日 | 2001年? |
血液型 | O型 |
出身地 | 奈良県 |
特技 | 絵を描くこと |
好きな食べ物 | そうめん |
人物像
絵本作家を夢見る、内気で人見知りしがちな少女。それ故に1人で抱え込みやすい面はあるが、自分より年下の者を守ろうとする際には芯の強さも見せる。
上述の通り、出自・能力・容姿に目立った特徴は特にない「凡人」。
一人称はボク。過去に何かあったのか、血を見るのが苦手な様子。また、勉強は苦手。
物語は、茉莉が絵本にしようとしているオスカー・ワイルドの童話「幸福の王子」の一文が毎回冒頭に引用されている。
プロフィールにある通り、好きな食べ物はうどんでも蕎麦でもラーメンでも沖縄そばでもないそうめんであるが、本編でこの設定が活かされる事はなかった。
出身が高嶋友奈と同じ奈良県であり、謎多き彼女の過去に何か関係しているのではないかと思われるが、果たして…?
※以下ネタバレ注意
その正体は、高嶋友奈を導いた真の巫女。
バーテックスが襲来した「七・三〇天災」時に友奈と出会って行動を共にしており、彼女の事を「ゆうちゃん」と呼んでいる。
作中で14歳と自ら言っているシーンがあり、少なくとも誕生日は7月30日以前のようだ。
友奈と出会う直前、両親を目の前で星屑に喰い殺されている。血を見るのが苦手なのはこの事を思い出してしまうため。
本人はそれを自分のせいだと思っており、その分誰かを助けないと釣り合いが取れない、自分が許せないと考えている所から、強烈なサバイバーズ・ギルトに苛まれているのが窺える。
バスでの逃避行の中でいつか必ず元の生活に戻れる事を信じつつも、自分より年下の友奈がバーテックスと戦う事を心配し、できるだけ戦わないようにしたいと思っている。その点において、友奈の事を「世界を救う勇者」ではなく「普通の少女」として見ていた唯一の人物であった。
しかし、内気な性格が災いして十分な話し合いができなかったため、その願いはほとんど届かなかったどころか、烏丸久美子の力ずくなフォローもあって半ば綺麗事を押し付ける形になってしまう。結果、事ある度に戦おうとする友奈とは対立とまでは行かないもののすれ違い続けた(茉莉にもその自覚はあった)上に、早く脱出したがる同乗者達から事ある度に反発を買い、久美子にも利用される隙を与える事になってしまう。
こうして茉莉への風当たりは次第に強くなっていき、遂には戦ってでも近道をすべきという考えに傾き出し無理矢理茉莉を従わせようとする同乗者達から暴行されてしまう。それでも茉莉は「いつか平和な世界に戻った時に罪を犯した事を後悔しますよ」と説得しようとする。最終的には傍から見ていた久美子に助けられたが、その暴力に屈しなかったほど平穏を強く願う姿勢が彼女を悪い意味でたぎらせてしまう事になった。
そして、暴走を始めた彼女によって自分の力が悪用されていた事、友奈と違いどこまでも平穏な世界を望んでいるが故にバーテックスが蔓延る目の前の現実を受け入れられていない事を知らされた上、力で従わせろという誘いに乗った友奈も呆気なく組み伏せられた様を見た茉莉は…
「(前略)それでも、普通に生きる方がいいに決まってる! ゆうちゃんも、そして久美子さんも、普通に生きる方がいい! 普通に生きることを悪いことみたいに言うな!」
「ゆうちゃんを連れて行くな! 連れて行くなよ!」
それまでとは打って変わって声を荒らげ、果敢に久美子に戦いを挑んだ。
力の差は歴然としていたが、凡人と侮られていたからこそ見抜かれない奇策を使って久美子の左腕にペンを突き刺した。
そこから血が流れるのを見ても構わずに。
結果、久美子は負けを認め、四国へ向かわせる事に成功する。
そんな彼女を、茉莉は許した。
彼女は快楽主義者のように見えて一線は超えないようにしていた事を見抜いていたから。
それは、バスにいた誰も見ていなかった、戦わない者達の誰も知らない戦いだった。
その後、尾道大橋で上里ひなたと対面。彼女からは巫女と見抜かれていたが、やっと平和になると信じていた矢先でまた戦いに身を投じる事に反対し大社への加入を拒否。しかし友奈が大社に加わって戦う事を承諾したため一度はついて行こうとしたが、巫女の過酷な将来を察した久美子に無理だと言われて庇われる形で、巫女ではなく避難民として四国に受け入れられる事になり、友奈と別れさせられる。
不本意な形での別れに、茉莉は「ボクは、一体何だったんですか…?」とただ立ち尽くすしかなかった(久美子はその疑問に一応答えたものの、茉莉自身には届かないとも思っていた)。
このような経緯から久美子が友奈を導いたという事になった(『花結いのきらめき』において、友奈自身もどこか複雑な表情で自分の巫女は久美子だと答えている)ため、大社には加わっていないし、当然ながら『結城友奈は勇者である 勇者の章』に登場した英霊之碑にも名前がない。後に久美子は、仮に巫女になっていたとしてもひなた達と対立する立場になっていたかもしれないと語っている。
その後も久美子の元には一年に一冊自作の絵本が届いているが、再び直接顔を合わせた事は一度もなく、具体的な動向は不明なまま本編は終わってしまったものの、神世紀29年には夢を叶えて絵本作家となり、「すず」という名の中学生の娘を授かっていた。
勇者であるシリーズの登場人物で明確に母親となった事が判明したのは茉莉が初である。ただ、夫に関する描写は一切ない上に娘共々名字は横手のままであるため、結婚しているかどうかははっきりしていない。また、後に娘はかなりの高嶋友奈フリークとなっている事も判明。かつて救いの手が届かなかった少女に「勇者」として思いを馳せるようになってしまった娘に対する、茉莉の心境やいかに…(親子関係については詳しく描かれていないが、少なくとも険悪そうな様子はないため、自分の価値観を子に押し付けない節度ある親になったとも考えられる)
尾道大橋から続く来島海峡大橋の足元たる、愛媛県今治市波止浜駅近郊に住んでおり、大橋付近の浜辺にはよく訪れていたらしい。柚木友奈の母・亜紗とは友人同士であり、娘の友達の知り合いとして訪れてきた芙蓉・リリエンソール・友奈の事は彼女から話を聞いて知っていたようだった。第二の友奈と会話を交わした茉莉は何を思ったのだろうか…
年を重ねた結果か一人称は「私」に変わり、女性語も使うようになっているが、この時点でも友奈を失った悲しみが癒えていないのか「友奈を勇者にした事は間違いだった」という考えは変わっておらず、友奈を大社へ連れて行った久美子の事は今でも憎んでいると語り、彼女に対する言動は以前にも増して刺々しい(とは言いつつも、自宅に上がり込んでお好み焼きをごちそうされる事は拒まず受け入れ、あくまでも冷静に自らの意見を主張するという「大人の対応」をしている)。
それでも、久美子に今幸せかと問われた際は迷いなく「幸せです」と答えている(偶然か否か、『勇者の章』にてある人物が同じ質問に動揺しながら「幸せだよ…」と絞り出したのとは対照的である)。
なぜそう答えたのかは語られないまま、以下の台詞で物語は締めくくられる。
「それに、いつ来ても私の答えは変わりません。死ぬ間際でも、笑顔で『幸せだった』と答えてあげますよ」
彼女の願いは友奈に届く事こそなかったが、およそ300年後のほとんど同一人物が真に叶える事となる。
なお、第三の友奈が活躍した神世紀72年でも存命だったかどうかは定かではない(生きていれば89歳になるが、この年は「バーテックス襲来を実体験した世代」の最後の一人が老衰で亡くなったとされている)。
大人達のエゴに翻弄された「凡人」
茉莉はこれまでのシリーズの人物達と異なり、状況が状況だった事もあって人間関係に全くと言っていいほど恵まれておらず、友奈でさえ「盤面の表と裏ほど隔たっている」と久美子に評されたほど考えが違っていた事から理解者とはなっていなかったという孤立無援状態だった。いわば勇者であるシリーズで最も孤独だった少女と言える。
加えて明日をも知れない状態で閉鎖的な環境に踏み込んでしまった事も重なった結果、
- 友奈を戦わせたくないと訴えても、誰も賛同しないどころか、友奈本人にさえ理解されない
- 味方だと思っていた久美子には陰で自分の力を悪用され、状況を悪化させられる
- 助ける事ができた人はいるものの、その事を感謝される場面が一度もない
- 周囲から弱腰だと思われて理不尽な罵言を浴びせられ、遂には暴力を振るわれる
- 久美子を止めるためとはいえ真っ当に生きていれば絶対にしない行為に手を染めてしまう
- 久美子と何とか和解できたと思ったら、最後の最後であっさり裏切られる
- 自分の気持ちを無視される形で友奈と別れさせられ、そのまま死に別れになってしまう
友奈がバーテックスと戦う力も意欲もある存在として大人達から持ち上げられていたのに対し、友奈の身を案ずるが故に戦いに消極的な茉莉は弱腰と非難された末久美子の独断で友奈から引き剥がされたという点では、大人達のエゴを一方的に押し付けられた被害者と言える。これでは作中で発言したように「世界を維持する時間稼ぎのために友奈を無駄死にさせた」ともとれる大社および久美子の無責任さに不信感を抱くのも無理はない。
そんな経歴を踏まえれば、家庭を築いて平和に暮らせるようになったのは十分報われている方ではある。
ただ、再会時も久美子に対して幸せとは言いつつ、30年以上経って尚彼女との関係にはしこりを残したまま、(かつてひどい目に遭わされた相手に事情を知らない子供達と、明かせる相手がいなかったという事情もあったとはいえ)自身の本心もほとんど明かされない、娘の名が英霊之碑に刻まれているものと同じ、と不安材料を残しており、どこかすっきりしない終わり方でもあった。
さらに、後に判明した娘のその後により、茉莉の思いは(少なくとも世界に影響を与える範囲には)全く受け継がれなかったというやるせない現実も示唆されている。
このような経緯から、茉莉の結末は普通の人間として日常に戻り夢を叶え家庭も築けたグッドエンドとも、守りたかった人を守れないまま普通の人間として生きる事を強いられたバッドエンドともとれるものになっている。
『烏丸久美子は巫女でない』自体、勇者であるシリーズでは異質な内容かつ説明・描写不足な面が多い事もあって、当初はこの記事においても批判的な記述が多かったが、年月の経過と共にキャラやストーリーの嚙み砕きが進んだおかげで現在は落ち着いている。
考察
茉莉は巫女としての素質は確かに持っていたが、本人はあくまで身内を助けたかっただけの、年相応に未熟で現実の厳しさを知らない『普通』な子供でしかなかった。
さらに、歴代の勇者であるシリーズの主人公達のように、精神的な成長の糧となる仲間にも恵まれなかった。
その上、両親を失って精神的に傷付いた状態、置かれた状況を飲み込むには足りなさすぎた時間、独りで乗り越えるにはあまりにも大きすぎた壁と、悪条件がこれでもかと重なった最悪のタイミングで巫女に目覚めてしまっており、端的に言えば運が悪すぎたとしか言いようがない。
茉莉は確かに、特別な存在に選ばれ過酷な非日常を経験したにもかかわらず「自分はゆうちゃんや久美子さんと違って平凡」とはっきり言い放つという、背伸びしがちな中学2年生とは思えない謙虚さと純真さを持ち、久美子に「『普通』を保ち続けたという異常さ」とも言わしめた。
しかしそれは、裏を返せば「『普通』を保つ事で精一杯だった」ともとれる。要するに、一見過酷な非日常でも「普通」に振る舞っているように見えて、内心では既に精神的余裕をなくしており、だからこそ終盤で溜め込んでいたものが爆発してしまったのだ。
多感な時期に家族も故郷も全て失って大きなトラウマを背負い、逃げようにも帰れる場所はなく、元来の性格から助けを求める事もできない。それでも独り必死に「普通」な自分を保とうと限界近くまでがんばっていただけに過ぎないのだ。
そんな時に目覚めてしまった巫女の力は、ただでさえ自分を保つ事で精一杯な状態で背負うにはあまりに重すぎるものであった事は想像に難くない。そもそも子供の身で世界のために戦い導く御役目につく事自体が異常なのだから猶更である。友奈一人だけを相手にするならまだ何とかなったかもしれないが、バスに乗せた多人数は完全に許容範囲外だっただろう。
さらにサバイバーズ・ギルトが追い打ちをかけ、無理をしてでも誰かを助けなければならないという強迫観念に駆られる事になる。
つまり、開始時点からいろいろと過酷な現実に直面しすぎて疲弊しきっており、とても大勢の命を預かれるような心理状態ではなかったにもかかわらず、無理してそれを引き受けざるを得ない状況に追い込まれてしまったのである。
結果皮肉にも、友奈がしている事を心配していた自己犠牲に自分も走ってしまい、元来の性格と相まって久美子のような不届き者に付け入る隙を与える事になってしまった。
例えるなら「何もかも亡くした弱みに付け込まれて独りブラック企業で酷使されるようなもの」である。
友奈を戦わせない事に固執するあまり彼女を含めた周囲の気持ちを理解し配慮しようとせず、事態を悪化させている事に気付かないどころか、そうなる事を予想すらできなかったのも、ストレスに晒され続けて判断力が落ち視野が狭くなってしまったからと考えれば人として当然の心理である。
久美子からは「目の前の現実を受け入れられていない」と指摘されているが、それも「凡人」として当然の心理だし、心が疲弊しきっているなら猶更である。むしろ目を覆いたくなる現実に直面しても冷静に頭が回る久美子や、躊躇わずに戦えた友奈の方が異常である(実際、久美子も友奈との会話で「普通の子供にそういう事はできない」という趣旨の話をしている)。
事態の悪化でますます精神をすり減らしても無理して人助けをしようとすれば(見ようによっては「罪を犯した事を後悔しますよ」という発言が跳ね返って来かねない)暴挙に及んでしまうほど追い詰められてしまうのも当然であろう。
このまま茉莉が無理をし続ければ、遅かれ早かれ彼女の精神が持たなくなるのは明白であり、久美子が無理矢理にでも巫女の御役目から解放したのは結果的には正解だったと言える。
その点で、友奈を含む他の人物達が勇者や巫女に「なるべくしてなった」者ならば、茉莉は巫女に「なってしまった」者でしかなく、良くも悪くも勇者気質な友奈について行けず置いてけぼりにされるのも仕方がないだろう。同じ自己犠牲に走りながらも、先天的かつポジティブにそうなった上に相応の力があった友奈と、後天的かつネガティブにそうなっただけで力が追い付いていない茉莉は、似ているようで正反対と言え、すれ違うのも必然だったのかもしれない。
いわば茉莉は、弱者を守ろうとする母性的な優しさは人一倍強かったにもかかわらず、既にそれがうまくできなくなるほど心がボロボロだった上、自身を助けてくれる仲間にも恵まれないまま利用されて酷い目に遭いながらも、いつか元の日常に戻れると信じ、無理して独り“戦い”続けた末に“置いて行かれて”しまった悲劇のヒロインと言える。
それでも茉莉は人を助けるべくできる限りの事はしており、どんなに苦しい状況でも逃げる事は決してなく、友奈達を全員無事に四国へたどり着かせたのだから、むしろよく健闘した方だろう。そこは久美子からも認められている。
『乃木若葉は勇者である』における友奈の日常を見ればわかる通り、茉莉が望んだ友奈の平穏も(一時的なものとはいえ)つかみ取っている。
次々と理不尽な目に遭い続け肉体的にも精神的にも追い詰められながらも奮闘した結果、久美子の慈悲で日常へと帰され、それを友奈が命を犠牲にしてでも守り抜いた事で、「特別な人間」ではなく「1人の女」として成長し夢を叶えて家庭を築き久美子と対等に議論できるほどの大人になった茉莉は、間違いなく強い方の人間ではある。
「母として子を育て未来へ託す」という女にしかできない役目を果たしたという点では、勇者達とは違う形で(あるいは女として本来あるべき形で)バトンを繋いだとも言える。
茉莉は良くも悪くも、世界というマクロな基準の中ではちっぽけな存在でしかない凡人に過ぎず、「いきなり力を与えられて英雄になれと言われてもできないのが普通」「英雄になれなくても幸せになれる」という現実を描いた彼女の人生は、それ自体が英雄という在り方に対するアンチテーゼになっていると言えるだろう。
久美子「──横手茉莉は普通の人間なんだよ。大義よりも身近な幸福が重要で、見ず知らずの他人が傷つくことには鈍感でも自分や身内が傷つくことには敏感で、未来の大きな幸せよりも今のちょっとした幸せが重要な……そういう普通の人間なんだ」
花結いのきらめき
その独特な立ち位置から、「参戦したら絶対話が重くなる」「そもそもゆゆゆいに参戦できるのか」とファンの間で議論になっていた。無論、参戦を期待する声もあったのだが、実現しないままゲーム自体サービス終了が決定した。
ただ、ゲーム中の勇者史外典のタイトルコールに実装されたどのキャラのものでもない声によるものが混じっている(参考)という報告が挙がっており、「茉莉の声なのでは?」とも推測されているが公式からのコメントは一切なく、真相は神樹様のみぞ知る。
その後ゆゆゆいは新規書き下ろしシナリオ追加の上でコンシューマー化が決定したため、参戦の可能性はまだ残されているが、果たして…?
余談
- 2015年時点で中学2年生(古波蔵棗、郡千景、安芸真鈴よりも2学年上、上里ひなたは巫女であるに登場した巫女、大和田よりも1学年上)であるため、現時点でこれまでの勇者であるシリーズの巫女達の中で一番の先輩である。
- 後に友奈が出会う千景とは、「黒髪(ただし茉莉はやや緑みがかった黒で描かれている)」「内気な性格」「絵がうまい」「友奈よりも年上」など共通点が多く、「勇者や巫女も1人の人間でしかないという点を負の側面から体現した存在」という点でも同類と言える。もっとも、直接的に受けた被害は茉莉の比ではないのだが。
- 穏やかなものではあったが「友奈と修復不可能なすれ違いを起こす」という点では東郷美森にも似た部分がある。こちらも黒髪で髪型も似ている上、絵もうまい。
- 本作のサブキャラクターにはルリちゃんという茉莉に助けられる少女がいるが、名前はルリマツリ(瑠璃茉莉)に由来すると思われる。彼女は中盤以降登場しなくなり、本編後の消息も不明だったが、『芙蓉友奈は語部となる』にて藤井瑠璃という、その後の彼女と思われる人物が登場しており…
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楠芽吹 - 勇者に選ばれなかったがそれでも信念を曲げずに勇者になろうとした結果、周囲から勇者のような存在と認められ、御役目に殉じようとした年下の友人を救い出した、ある意味茉莉が成せなかった事を成し遂げた人物。そして、茉莉が投げかけた勇者の在り方に対する疑問への「答え」を出した人物でもある。
天馬美咲 - 茉莉の登場から僅か一か月後に別の作品で登場したボクっ娘の巫女。「巫女になろうとしたがなれなかった」という類似点もあるが、それに執心したせいで一悶着起こしているという違いもある。仮に茉莉が友奈について行く事に固執しても、彼女のようになってしまっていたかもしれない。その点で、芽吹が「茉莉の理想」を体現した者なら、美咲は「茉莉の影」を体現した者と言えるかもしれない。
秋原雪花 - 同じ時代の勇者で、家族を失い頼れる人が誰もいない中で醜い大人達の姿を目の当たりにしたという共通点がある。ただし彼女はそんな大人達に失望こそしていたが情を捨てきれず最後まで勇者として戦い抜いている。
藤森水都 - 同じ時代の巫女で、状況が状況で巫女としての訓練をろくに受けられなかったという共通点があるが、こちらは勇者との関係が良好であった事もあり、結果的に3年も持ちこたえられたという点で(本人は謙遜しているが)高い実力を発揮できている。
黒桐幹也 - 「特別になろうとせず自ら進んで普通でいる事を望む、ある種の異常者」という共通点がある人物。