概要
極楽とは仏教における天国に相当する概念、極楽浄土ともいう。六道に含まれる「天道」「天上道」とは区別され、仏が棲むとされている。天道に住む天人たちには寿命があり、寿命を迎えると天人五衰と呼ばれる苦しみの果てに輪廻転生へと戻っていく。しかし、極楽に住めば、永遠の安らぎを得られるという。極楽に住む為には仏の教えを元に正しい教えを悟ることが必要である。
もしここで菩薩としての修行を完成させ、仏陀となった暁には、その浄土がある仏国土(一人の仏が教化できる範囲の世界)を出て別の場所に行き、自身の浄土を建設する事になる。
その浄土もまた菩薩の修行地となり、六道輪廻の衆生を救うための拠点となる。
これは全ての浄土に共通する特徴であるが、極楽の場合、ここに生まれ変わる(往生)する事を目指す教えが説かれており、これを専門とする諸宗派を「浄土門」「浄土教」という。
日本でいえば浄土宗や浄土真宗などにおける考え方である。極楽の詳細はこれらの宗派で重んじられる「浄土三部経」に描かれている。信徒たちは救いを求め、念仏を唱える。そして死後阿弥陀仏が死者を極楽へと迎えに来るわけだ。
あくまで「浄土門」「浄土教」と言われる宗派でも、極楽に行く事がゴールなのではなく、極楽は本当のゴールである「悟り」「解脱」に至れる確率がほぼ100%の世界なのである。
一方、禅宗や日蓮宗等では地理的な死後の世界としての極楽を目指していない。日蓮系の場合、我々が住む仏国土「娑婆(サハー)国土」と重ね合わせに存在する釈迦如来の浄土「霊山浄土」への往生を説く。
禅宗においては極楽も地獄も人の心の中にあり、そう考えて悟りを目指さなければ浄土を見出すことはできないと考えるのである。
判り易く言えば、大乗仏教の宇宙観では「最上層の天界から最下層の地獄までを1セットにした世界」が無数に存在しており、「この世界」である娑婆世界は最後に現われた仏である釈迦が居なくなってから次の仏が現われるまでに天文学的な年月を要する世界であり、極楽は仏が常在している世界の1つである。
「極楽=浄土」(完全一致)ではなく、極楽は「浄土=仏」が居る世界の1つ(部分集合)であり、極楽を司る仏が阿弥陀如来である。
なお、極楽世界や阿弥陀如来についての記述が有る仏典では、極楽世界に生まれ変わった時点で全員が男性となる為、極楽には女性が存在しないとされている。
法華経の「龍女成仏」のエピソードを「男性は男性のまま、女性は女性のまま、悟りを開き仏となる事が出来る」と解釈する日蓮宗系の宗派からは、この事が女性差別的であると批判される場合も有る。