概要
明治維新に際し、明治政府は当初神道国教化を推進したが、間もなくアニミズム的信仰である日本古来の神道により近代国家をまとめていくことが不可能であることが認識された。こうして神道国教化の計画は破棄されて、神道から宗教的・土着的要素を取り除き、天皇と伊勢神宮を中心とする国家的祭祀制度に再編した国家神道が成立することとなる。
日本国民は神社への崇敬が義務とされたが、当時の公式見解では神社は宗教ではなかったので、大日本帝国憲法で定められた信教の自由とは矛盾しない。
だが神社が国家制度に組み込まれることで、村の小さな神社を廃して大きな神社に合祀することを強制されたり、神職が布教活動や葬儀にかかわることが規制されるなど、神社の活動は自主権を剥奪され、宗教としての活動に大きな制約を受けることになった。この過程で神道の宗教としての活動を重視する教派は、教派神道として分離した。
なお、国家神道の誕生とともに創出された靖国神社は御霊信仰を基盤とし、初めは主に鎮魂を目的としたが、やがて慰霊、さらに顕彰へと展開した。靖国神社は国民統合の精神的中核であり、戦死者を「英霊」として祀っていた。
敗戦後の神道指令で国家神道制度は解体され、神社は宗教として自由な活動ができるようになった。しかし、旧内務省の外局・神祇院を母体にしてつくられた神社本庁によって今なお国家神道の枠組みは存続している。神社本庁は伊勢神宮を本宗と仰ぐ中央集権の色合いが強く、各地域固有の伝統を軽視する国家神道的な神道観を持っている。被包括の神社に対し鎮守の森を伐採し売却することを迫ったり、宮司の人事に口を出すなどし、しばしば裁判沙汰にもなっている。