曖昧さ回避
清代中国の天理教は当記事では扱わない。
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概要
幕末に開祖中山みきが奈良県天理市を拠点として開いた宗教で、神道から派生した一神教であり、かつては公式に認められた教派神道の一派だった。
親神・天理王命を信じて奉仕し、相互扶助によって幸福を得られる「陽気ぐらし」という世界の実現を目指している。
他の宗教に対しては非常に寛容であり、信者以外がイベントへ参加したり、観光のために本部を訪れることも推奨している。もちろん、ある程度布教は行うが、興味がない人には無理強いせず、街を楽しんでいってと言われるくらい。そもそも天理教徒が初詣やクリスマスのイベントを祝うことへのおとがめも一切ない。天理教の基本原理が相互扶助と陽気暮らしなので、排他的な思想や厳しい戒律がはじめから存在しない。
日本の伝統的な神道や仏教と比べて設立が19世紀以降であるため新興宗教と扱われることもあるが、この天理教や金光教、黒住教、本門佛立宗などはぎりぎり江戸時代末期であったことが幸いし、一般的にはいわゆる新興宗教とは区別されている。
歴史
教祖である中山みきは1798年6月2日に今の天理市の庄屋であった前川半七正信の娘として誕生した。檀那寺であった浄土宗善福寺の熱心な信者となり、若い頃は浄土宗尼僧を志望していた。19歳で善福寺にて五重相伝を受けるほどだったが、1810年10月13日には同じく今の天理市の庄屋であった中山善兵衛に嫁ぐ。
1838年12月9日、長男・秀司の病気治療の為に当山派修験道(現真言宗醍醐派)内山永久寺(現在は廃寺)の山伏中野市兵衛が憑祈祷を行ったとき「親神様」がみきに憑依し、天啓を受けた。12月12日には善兵衛「月日のやしろ」となることを承諾し立教した。1854年に三女・はるにみき自らが安産祈願「をびや許し」をはじめて施した。従来の女性に負担をかけるような慣習に従わなくても、容易に安産できたことから、医者を頼れない貧しい女性たちを中心に支持を集め、徐々に教えは広まっていた。しかし、これらはそれまでの慣習で私腹を肥やす神道神官や仏教僧侶の妨害を招き、さらに禁厭祈疇により医療の普及を妨げると考えた政府からの迫害を受ける原因となった。
この頃、組織が権力との対決をしてでも教えを貫く教祖派と、権力と妥協してでも教えを広めるべきという長男の応報派に分かれていた。後者の奔走で得た吉田神道からの庇護で一旦弾圧は収まり、1866年から神命に従い「みかぐらうた」などが記されていき、宗教的にもしっかりとした形を持つようになった。しかし、復古神道を元とした国家神道体制がすすみ吉田神道の権威が失墜すると再び国家権力の圧迫が進んだ。応報派は教祖の反発を押し切りかつての当山派修験道のつてをたどって高野山真言宗金剛山地福寺の庇護を取り付け、これによって廃寺となった内山永久寺の信者を取り込む事に成功したがその後も官憲の弾圧はやまず、次いで教派神道を目指す「教会設置運動」を行ったが、これに関しても教祖は反発し教義の歪曲に反対した。1886年2月18日に90歳で教祖は現身を隠した。教祖は115歳まで生きるとされていたが、これに関して親神様は教祖の肉体を人々の覚醒を促すため25歳分の寿命を減らした、魂は教祖殿にとどまり人々を守護するとの神託が下った。
その後、教派神道天理教として認可を得たが、官憲の圧迫に常に晒され応報派が主導権を握った天理教は権力に屈服し教義の歪曲が徐々に進んでいった。
教団は中山みきの子孫で教団を統制する真柱と神の言葉を伝える本席の2トップ体制となったが、2代目飯降伊蔵死後に3代目となった上田ナライトが病気を理由に解任されると本席制度は廃止された。井出國子など天啓者であると主張した人物が相次いで排斥され、芹沢光治良のような本席制度廃止、真柱単一体制に疑問を持つ人物は教団を去っていった。
そしてついに最大の規模の教団分裂が発生した。教祖誕生から116年後の1913年に、教えに忠実であるべきと考えていた大西愛治郎は天啓を得て、かつての教祖派の再来ともいえる原理主義派を形成し、1925年に天理研究会として分裂した。これまでの離脱教団とは違い天理研究会は大規模な引き抜きを行い、その影響もあり原理主義者がほぼいなくなった天理教はさらに「革新」と称される国家権力への迎合をすすめ、多くの教えを封印し、天理研究会改め天理本道への迫害の影響を避けるため満州開拓など積極的に国家に協力した。
敗戦後、政府からの干渉から完全に解放された天理教は「復元」と称する神道色の排除を進め、教派神道からも離脱し現在に至る。ただし、識者の中には「復元」が不十分であり未だ「革新」の名残を残しているとの批判もある。
(なお、非転向を貫いた天理本道は戦後「ほんみち」として再建されるものの、後継者であった大西玉率いる多数派の改革派と改革に反対した少数派の保守派で対立した。最終的に改革派が離脱して「ほんぶしん」を設立し、保守派が教団に残留という形で分裂した。)
天理市
奈良県天理市は天理教の街であり、初めて訪れた人は異様な建物が並ぶ姿に圧巻される。
本部も当然天理市にある。
なお、「天理市で発祥したから天理教」ではなく「天理教の発祥の地だから天理市」という完全な宗教都市である(「日本唯一」のように紹介されることもあるが、宗教都市自体は和歌山県高野町など他にも複数ある)。
関連タグ
天理市:奈良県の市日本唯一の宗教都市を自称し、日本で唯一宗教から市名が決まった市である。(バチカンなどと同じ)
カレーライス:日曜日にカレーを食べるという風習は天理教および関連企業のスジャータ(めいらく)由来のもの。