概要
道徳とは、社会で必要とされるモラルや価値観のこと。
「道」とは人として在るべき「道理(社会の決まりを守る・相手の自由と権利を侵害しない)」を表し、「徳」とは自分を許し、相手を許し、受け入れる「慈悲の心」を意味する。
つまりは「誰に対してもある程度の優しさを持ち、皆が生きやすい様に社会のマナーを守ろう」と言う概念である。
道徳の存在意義とは
道徳は学校の授業としても行われているが、しばしば
「学力に役立たない」
「いくら道徳を教えてもいじめや言葉の暴力といった不品行は無くならない」
などと指摘され、道徳の授業その物が「無意味」として廃止を訴える声も根強い。
特に現実の受験戦争や、フィクションの物語などにおいては甚だしく軽視される風潮にある。
むしろ昨今ではざまぁを筆頭に、他人を蹴落とす事で個人を高めようといった風潮が強い。
確かに上記の意見も間違っては無いだろう。
だが、世の中最後に評価されるのは個人の能力では無く人間性であり、そこで発揮されるのが道徳なのである。
学生時代の学力で優っていたのに、卒業後の就職や出世などで差を付けられる場合があったり、著名人が一度の不祥事で社会から消えた例などは、誰しも一度聞いた事はあるのでは無いだろうか。極端な話、「あまり喜ばしい学歴でなくとも一生懸命働き、同僚や後輩および部下の心を労わる者」もいれば、「素晴らしい学歴の持ち主だが与えられた地位や名誉の愉悦感に快感を覚え、その権力を振りかざす者」もいるということ。
言い換えてみれば、小中高校生活で無意味だと教えられ続けた事こそ、人生における最大の内申点として評価されるのだ。
他人に対する思いやりがある人間だから、自分も誰かから優しくされる物なのである。日常において何か良いことをした時に「ありがとう」と言われると、どこか気持ちが良くなって心が安らぎ、優しい気持ちになるのもその一つ。
バラエティ番組「ホンマでっか!?TV」にて、心理評論家の植木理恵氏が語った所によると、
日本の道徳教育の問題点は「社会の決まりを守れ・他社に迷惑をかけるな」という「道」だけを教え、相手に対する「徳」を教えない事にあるとの事。
他者に対する優しさを持たないが故に、その人の不寛容さへ繋がっているのである。
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もしかして ⇒ 清虚道徳真君