ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

※詳細はギロチンにて。

「断頭台」について

断頭台とは、死刑囚の頭部を重い刃を用いて切断することで、生命活動を停止するために用いられる処刑器具である。一般的には、革命期以後のフランスをはじめ、様々な国家で使用されたギロチンを指すことが多い。しかし、歴史的にはギロチンより早期に同様の器具が存在していた。そのため、本記事ではそれらについて付記する。

ハリファックス断頭台

イングランド北部、ウェスト・ヨークシャーに所在するハリファックスという地区では、ギロチン登場より200年以上早い1541年に、処刑器具として断頭台が登場した。高さ4フィート・13フィート四方の台の上に設置されており、比較的大型の器具であった。中央に高さ15フィートの木材が垂直に置かれ、その上部には重さ7ポンドの斧が固定されていたとされる。

当時のイギリスの慣習法では、12ペンス以上の窃盗に死刑の適用がなされていた。しかしハリファックスの属する地域では、地方の権力者により13ペンス半以上の窃盗+犯行中の捕縛or自白という制約があり、いずれかが満たされないと執行されなかった。容疑者の刑罰が死刑執行に値すると判定されると、3回の市場か集会を経て、死刑執行が行われるメインの市場が開かれる、という手順を踏んだ。市場は火曜日・木曜日・土曜日に開かれ、刑はすべて土曜日に執行されたという。なお、最大3回行われる市場は、窃盗された物品の価値を確定する期間として設けられたとされる。

1541年から1650年まで使用されるも、その受刑者はわずかに53人を数えるのみだった。しかし、ギロチンに先んじて機械式の断頭台を生み出したという点で、そのインパクトは大きい。

スコッチメイデン

16世紀スコットランドの貴族である第4代モートン伯爵ジェイムズ・ダグラスは、イングランドで使用されていたハリファックス断頭台を自国にも導入し、処刑の簡潔化を図った。ただサイズはハリファックス断頭台より小さく、土台のようなものは省略されている。

1564年よりエディンバラに設置され、1710年まで使用されていたこの器具により、150名以上が処刑されたという。そしてその中には、導入者であるジェイムズ・ダグラスも含まれている。使用の記録は殆ど残っていないが、ギロチン導入時に参考にされたとされており、後世に残した影響は大きい。

コメント

コメントが未記入です

pixivに投稿されたイラスト

すべて見る

pixivに投稿された小説

すべて見る
  • 彼女の首が落ちる音

    ある国の処刑執行人・アンリは自分の運命に苦悩していた。 国より死刑の執行を任されていた彼女は、国中から『死に神』と呼ばれ、忌みきられていた。 彼女自身も死刑なんてしたくなかったが、一族の運命から逃れることがきなかった。 そんな彼女を唯一、女王であるオーギュストだけが優しく気にかけていた。 オーギュストは、一族の呪いから逃げられないアンリと自分を重ねて、 アンリのことを「たった一人の友達」と呼んでいた。 そしてアンリも、そんなオーギュストにだけ心を開いていた。 ある日の死刑でアンリは、観衆に邪魔をされて、死刑に失敗してしまった。 詫びる彼女に、オーギュストがある提案をする。 それはアンリのために「斬首が簡単にできる装置」の開発だった。 そして処刑人と女王という、本来なら交わるはずのない二人が、 お互いに引かれあいながら、後に『断頭台』と呼ばれる装置を作り上げる。 しかし、それは二人を過酷な運命に導くこととなっていく――。 全ての国民を思い、アンリのことを「友達」と呼んだ優しき女王と、 そんな女王のために、辛い役割を背負っていた処刑執行人の 時代に翻弄された悲恋の物語。 フランス革命当時に実在したシャルル=アンリ・サンソンをモチーフにした小説。 〈参考文献〉 『死刑執行人サンソン』安達正勝・著
    20,000文字pixiv小説作品

このタグがついたpixivの作品閲覧データ

断頭台
6
編集履歴
断頭台
6
編集履歴