概要
鉄砲を使って相手の肉体を著しく損傷させ、出血多量並びに臓器不全を起こして死に至らしめること。
射殺のカテゴリの中の一つ。
処刑方法としては「銃殺刑」と呼ばれ、主に規律違反を犯した軍人や政府に反乱を起こした者に対して執行されるのが一般的であり、単なる犯罪者の死刑に使われることは現在では稀となっている。(かつては公開処刑として用いられていた時期もある。)
ただ、見た目こそ残酷だが、絞殺(絞首刑)や薬殺に比べて確実かつ簡単な方法であるために、途上国では今でも採用されている。
刑罰ではないが、凶悪犯などが現場で射殺される事もある。
処刑方法として
銃で受刑者を撃ち殺す刑罰は、大抵は『銃殺』と表記される。先述の通り、基本的には軍事関係の処理手段として用いられるケースが多い。一般的な処刑方法には絞首刑や斬首刑があるので、銃殺による処刑は平時に執行された例としてはあまり観測されない。
刑罰としていつ頃から存在したかはわかっていないが、近代で有名なのはフランス革命中での私用である。恐怖政治のシンボル的存在・ギロチンの印象が強いが、執行スピードが遅いこともあり、平民は銃殺により処刑されるケースのほうが多かったという。
19世紀では、メキシコ皇帝マクシミリアンの例が有名である。彼の場合、「顔だけは撃たないでくれ(母が自身の顔を認識できるように)」と伝えたところ、顔に銃弾を受け死亡したというエピソードが知られている。
また20世紀では、ロマノフ王朝最後の皇帝であるニコライ2世の一家が受刑(ロシア革命)。彼の娘たちは衣服に大量の宝石を縫い付けていたため銃弾が通らず、最終的に銃剣でとどめを刺されたとされる。
二度の世界大戦があった20世紀には、世界各国で銃殺刑が用いられるようになる。捕虜の処刑、敗戦の将に与える処罰など、多くの場面で用いられ、映像に残っているものも多数存在する。特に、ロシアにおける大粛清や、ナチスによるユダヤ人虐殺においては、多くの民間人を巻き込み数百万人単位の犠牲者を出した。
なお、斬首がメインだった日本でも、20世紀からは銃殺の使用例がみられるようになる(ただし軍事裁判の結果なので、法定刑としての適用例はない)。たとえば、二・二六事件の事後処理として、北一輝や西田税が銃殺刑により処刑されている。
現在では死刑そのものを廃止する国家が多いこともあり、銃殺刑を見る機会はフィクション以外では殆どない。ただ、近頃の情勢不安もあり、今後銃殺刑が乱用される時代がきてもおかしくないだろう。