概要
1930年代に、ソ連の最高指導者ヨシフ・スターリンによって行われた大量虐殺。
衛星国のモンゴルも巻き添えとなった。
本来は政敵への政治弾圧だったのだが、やがて同志、更には一般市民も対象となり、国民を恐怖の淵に陥れた。
進行につれて動機は何でもよくなり、言いがかりレベルの理由で対象となった者も多数いた。
たとえスターリンに忠誠を誓っていても、彼が少しでも不審に思えば容赦なく粛清を受けたほどで、ソ連の共産主義体制の負の象徴として現在まで有名。
正確な犠牲者数は不明だが、調査によっては1000万人とも言われている。
あまりに殺しすぎたために1938年頃には国家機能を麻痺させてしまい、独ソ戦が始まるとそのスピードは衰えを見せた。
ただし、大粛清の副産物としてもたらされた監視社会は、スターリンの死後も長く引きずられた。
粛清の指揮をとっていた幹部のニコライ・エジョフはその責任を取らされ、自らも「外国の反共勢力に通じ、ソ連を衰退させるために活動していた」という自白をさせられた上で処刑された。エジョフに取って代わったのが彼の下で働いていたラヴレンチー・ベリヤである。
スターリンをここまで駆り立てたのは、彼自身のワンマンな性格と、生来の疑り深さと言われる。
晩年には報復を恐れるあまり極度の人間不信に陥り、「私はもうおしまいだ。誰も信用できない。自分さえも」と発言したとされる。