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ニコライ・エジョフ

にこらいえじょふ

ソビエト連邦のNKVD長官 スターリンによる大粛清を行い、多くの人民が彼によって粛清された。
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概要

生誕からボリシェヴィキ入党まで

 1895年5月1日にロシア帝国で当時首都だったサンクトペテルブルクで生まれる。初等教育だけを卒業し、後に洋服屋の助手や工場労働者として働いていたが1914年に第一次世界大戦が起きると彼はロシア帝国の兵士として入隊する。革命家ウラジミール・レーニンらによる十月革命前の1917年にボリシェヴィキへ入党、ロシア内戦では赤軍に加わり白軍と交戦した。

ソ連共産党での活動

 ロシア内戦後、共産党各級地方委員会書記に努めた。1927年には共産党の農産物徴発部門の指導者となり特別部門、人事、産業などの部門の長として就任したが1934年に中央委員に選ばれると翌年に共産党中央委員会書記に就任した。1935年から第二次世界大戦が勃発する1939年まで党中央委員会での党員への統制を行った。

スターリンの大粛清(大テロル)

エジョフはスターリンの支持者であり、政治的反対勢力が暴力とテロリズムと結合して反国家・反革命に結合しかねないとして論文を発表した。これは粛清におけるイデオロギーの基礎の一部となっている。1936年にNKVD長官であったゲンリフ・ヤゴーダに取って代わると9月26日には内務人民委員(内務大臣)、中央執行委員に任命されると翌年には党中央委員会政治局員候補に選ばれた。エジョフは反逆者を排除するべく前任であったヤゴーダ派の粛清に取り掛かると、粛清から生き延びたヤゴーダ派のメンバーを自身の配下に組み入れ、権力を固めていった。

1937年にエジョフはヤゴーダが「ファシストのスパイ」として逮捕されると、スターリンによる大粛清でスターリンの執行者として君臨する事となった。
NKVDとGPUに徹底的な粛清を指揮し、前任者のヤゴーダなどの人員が解任および処刑された。中にはエジョフ自身が任命した人物までもが粛清の対象となった。エジョフはスターリンから粛清の命令を受けた際にはその一字一句をメモに書き残していたとされ、NKVDの部署内にも監視が徹底化されていた。さらに彼はレーニンの同志レフ・トロツキーを支持していた一派も裁判にかけ、処刑または追放したのである。エジョフ体制下は度重なる粛清が続き、ソビエト共産党指導者や官僚、赤軍軍人や政府転覆などを狙い反革命の容疑にかけた市民までもが粛清の対象とされ、次々に逮捕された。拷問や処刑、追放や収容所送りなど多くの人々がエジョフのNKVDによって粛清された。

失脚・最期

猛威を振るい、多くの人民を粛清してきたエジョフにも遂に失脚の道へと転落する。大量の粛清によって国家の内政や経済が混乱に堕ち入り、スターリンの不興を買うようになった。1938年からエジョフの権威は次第に弱体となり、NKVD長官にはラヴレンチー・ベリヤが任命された。任命されたベリヤはエジョフの権力を奪い、NKVDで己の権力を固めていった。
連日のように粛清を繰り返したエジョフは晩年、疑心暗鬼となっていき心まで腐ったのか妻までもを粛清してしまっている。酒に溺れたエジョフはアルコール使用障害となり、最終業務の月では陰鬱で、起きている時間はほぼ飲酒で出勤する事は全く無くなったという。
さらに心身共々、堕落したエジョフをスターリンは存在を無視できるだけで満足していたという。ついにはベリヤにまでも非難されたエジョフは1939年にソ連共産党中央委員会における全官職を解任された上、逮捕された。
逮捕後は猛烈な拷問で「ドイツの諜報機関と内通してクーデターを計画した」と自白され、1940年2月3日に死刑判決が言い渡されるとエジョフはその場で泣き崩れ、部屋から運ばれるほど正気を失っていた。さらにエジョフは体ごと処刑場に運ばれ、しゃっくりしては再び泣きじゃくっていたという。
1940年2月4日、ニコライ・エジョフは銃殺刑が言い渡され処刑された。彼のNKVD時代において行った大粛清の執行は「エジョフシチナ」と呼ばれた。エジョフの死は国民には伝えられておらず1948年になってようやく彼の死が国民へ発表されたのである。スターリンはエジョフの死を部下からたずねられたのだが、エジョフがスターリンの命令に忠実に従っていたのを知っていたのだがスターリン本人は何の反応もなく、ただ言葉を耳にしていただけであった。

人物像

残忍な性格で一言で表すなら「DQN」でもある。レーニンの同志で革命家ニコライ・ブハーリンの説明曰く
「エジョフ以上に嫌悪を抱いた人物に会った事はない。公園にいる悪ガキどもがパラフィン油に浸した紙を猫の尻尾に結びつけた。そして火をつけ、何と彼らは恐怖に陥った猫が火から逃れようと必死に引っ掻き回す姿を見て喜ぶのである。エジョフが少年時代からこんなに楽しんでいたであろうということ、そして今も形は違っていても同じことをし続けていることを疑わない」
エジョフの身長はおよそ150cmとかなりの小柄であった事から残忍な性格と結びついた「血まみれの小人」などという異名がつけられた。

その他

誕生日

1895年5月1日

没年日

1940年2月4日

関連イラスト

ベリヤとエジョフ

誕生日


別名

血まみれの小人 毒入りの小人

関連タグ

ソビエト連邦 スターリン 大粛清 DQN NKVD

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