ピクシブ百科事典

モロトフ

もろとふ

「モロトフ」は、ロシア語の人名。

「モロトフ(Молотов)」は、ロシア語で「槌」を意味する単語Молотに由来する人名。スターリン時代の首相や外務人民委員を務めた古参ボリシェヴィクのほか、革命家パルヴス(パールヴス、アレクサーンドル・リヴォーヴィチ。本名イズラーイリ・ラーザレヴィチ・ゲーリファント)も用いたことがある。

テッカマンランスの人間名

タツノコプロアニメ宇宙の騎士テッカマンブレード」に登場するテッカマンランスの人間名。詳しくはそちらに記載されています。

スターリン時代の政治家

モロトフ


 モーロトフ、ヴャチェスラーフ・ミハーイロヴィチ(Молотов, Вячеслав Михайлович)。1890年2月25日(新暦3月9日)、ロシア帝国ヴャートカ県、ヤラーンスク郡クカールカ村に生まれる。本名はスクリャービン(Скрябин)。有名な作曲家と同姓。兄弟ニコライは作曲家で、前述のスクリャービンとの混同を避けるため筆名「ノリンスキー(ノリーンスキィ、ニコラーイ・ミハーイロヴィチ)」を名乗った。ソ連政治家外交官、古参ボリシェヴィク。1930年から1941年までソ連人民委員会議議長(首相)を務め、1939年から1949年の間、また1953年から1956年の間、外務人民委員(外務大臣)を務める。1957年の失脚まで、ソ連共産党指導部の一員。社会主義労働英雄。1期から4期まで、ソ連最高会議幹部会代議員。

モロトフ


 1906年、ロシア社会民主労働党に入党。職業革命家として数年を過ごした後、第一次世界大戦中に流刑先のシベリアから脱走、 ペトログラードで地下活動に携わる。十月クーデタではペトログラード軍事委員会委員となり、以後は北ロシア、ヴォルガ、ドネツ地方で活動。21年、ロシア共産党中央委員兼書記、26年に政治局員に昇格。コミンテルンにおいては、27年に執行委員会幹部会の一員となり、29年、ブハーリン失脚後、事実上のコミンテルン指導者となる。39年5月以降は外務人民委員(外務大臣)を兼ね、「モロトフ・リッベントロップ条約」として知られるナチスドイツとの独ソ不可侵条約の締結における署名者となった。彼はカティン事件に関与している。41年、スターリンに人民委員会議議長の職を譲り、外交部門の指導にあたる。独ソ開戦後は国家防衛委員会副議長としてスターリンを補佐した。終生スターリンに忠実な姿勢を崩さなかった。スターリン死後は集団指導体制の一翼を担ったが、フルシチョフ追い落としに失敗、左遷される。62年、年金生活に入る。1986年、96歳で没。

pixivに投稿された作品 pixivで「モロトフ」のイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 1941

コメント