NKVD(НКВД)は1934年から1946年までソビエト連邦に存在した人民委員部(省庁に相当)。内務人民委員部と訳される。
概要
秘密警察や諜報機関として敵対国のスパイや政治犯の摘発・逮捕・処刑などを行う機関という印象が強いが、実際には通常の警察業務も一手に担っていたため、かなり広い権限を持った強力な組織である。
元々は1917年にロシア・ソビエト社会主義共和国に設立された内務人民委員部NKVD RSFSRと、反革命・サボタージュ取締全ロシア非常委員会 VChK、通称チェーカーなどが数度の改組を経て設立されたもので、現在でも知られる体制になったのは1934年である。
1930年代の大粛清でもその能力を遺憾なく発揮した(し過ぎた)が、1930年代半ばには初代人民委員(長官)、つまり粛清する側のトップであったゲンリフ・ヤゴーダが解任された後、「『ドイツのスパイだ』と”自白”した」として処刑された。
後任のニコライ・エジョフも熱心に粛清に取り組んだがスターリンの不興を買って2年ほどで退任し、その後処刑された。一説によれば行き過ぎた粛清で各機関が機能不全になりつつあったためとされる。
後任にはラヴレンチー・ベリヤが就任している。
第二次世界大戦
1941年2月、スパイ活動や政治犯、敵スパイの摘発を行う国家保安人民委員部(NKGB)が分離独立した。(その後統合と分離を繰り返した後1946年に再統合)
第二次世界大戦(独ソ戦)では、国防人民委員部の元にある赤軍と別の指揮系統で活動し、敵のスパイやパルチザンの摘発、捕虜の尋問、処刑などを行った。
また、スターリングラードでは「一歩も退くな!」の一文で有名なソ連国防人民委員令第227号を根拠に、督戦隊として許可なく退却したり、逃亡、投降する味方将兵を射殺・処刑するなど味方に対しても容赦なく実力行使した。
終戦後の1946年に内務省に改組された。
1954年に内務大臣のベリヤが失脚し、内務省から独立してKGBとなった。
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ソビエト連邦 ラヴレンチー・ベリヤ 内務省 秘密警察 強制収容所
関連動画
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