概要
時の国家の政府が反体制分子や戦時下における国内の敵性外国人、政府が敵対視する人物などを治安維持のために財産没収の上で収容するための施設。
刑務所は裁判を受けた法的手続きの上で収容されるが、収容所は裁判なしに送致・収容される。
そこでは何らかの労働作業に従事させられたり、単に集団生活を強いられたり、さらには最終的に虐殺がされる場合もあり、少なくとも非人道的な扱いが横行し衛生環境は悪い場合がある。
歴史
1889年~1902年の第二次ボーア戦争時にイギリスがアフリカ入植系白人=アフリカーナーに対して行った焦土作戦の一環として建設されたのが、強制収容所の始まりとされており、多くの女性や子どもが収容所内で死亡したことから国際的な非難を招き、大英帝国の威信を大きく揺るがす事態となった。
ソ連は世界史上最も組織的に強制収容所を建設・運営し、ロシア革命直後から1986年にゴルバチョフの指令によって廃止されるソ連崩壊直前までシベリア各地をはじめ多数の収容所が存在した。元々はレーニンが反政府派の収容のために発明し、それを後継者のスターリンが規模を拡大させて反革命派と見做された政治犯や第二次世界大戦時の戦争捕虜、あるいは敵対的とされた民族、または共産主義の敵である階級敵などが収容し、強制労働に従事させた。
最も有名なのはナチス・ドイツの強制収容所であり、主な被収容者はユダヤ人や障害者、同性愛者、政治犯であったが、戦前の時点ではまだ他の国の例にあった強制収容所とそれほど差のあるものではなかった。しかし戦時中になると様々な要因からユダヤ人の抹殺を前提とする絶滅収容所に改装、もしくは新設されてホロコーストの現場となった。
第二次大戦中のアメリカ合衆国及びその影響下にあった国々やカナダといった両アメリカ大陸諸国、オーストラリアなどのイギリス連邦の国々では日本人や日系人の強制収容所が作られ入れられ、米軍が上陸した沖縄でも沖縄戦終結直後に米軍は施設を作って県民を収容した。結局はどっちもどっちなのである。
日本でも国内の敵性外国人のための施設を作り、ロシア人野球選手のスタルヒンはその一例。
政治関連や戦争だけでなく、民族的な目的の施設も作られた。ナチスのユダヤ人に対するものもその一例と言えるが、他にもオーストラリアがアボリジニ混血児に対して行った隔離政策、アメリカのインディアンへの保護区、中華人民共和国の「労働改造」やチベット人に対する民族浄化などがある。
現在でも中国や北朝鮮などの独裁国家や軍事国家では多数存在する。
更に米軍が運営しているグアンタナモ湾収容キャンプも強制収容所の一種と見做されていることを筆頭に、現在の民主国家によって運営されている例も探せばあったりする。
名称では素直に「強制収容所」とは呼ばず、物は言いようで連想しにくい名前の例は多い。アメリカの日系人収容所は「転住センター」、中国では「労働改造所」と呼んでいる。
アウシュビッツやアメリカの「マンザナール」などは史跡として保存されている。
あさのあつこの小説『NO.6』では「矯正施設」と呼ばれる施設が登場する。
関連タグ
ギルティギア:日本人が絶滅危惧種として保護対象となっている。