概要
クロアチアの都市。
もともとは「未回収のイタリア」の一部であり、イタリア系住民が多かった。イタリア語では「フィウーメ」。
近世までオーストリア・ハンガリー帝国領だったが、第一次世界大戦後にユーゴスラビア領になった。その直後の1919年9月、ナショナリストのイタリア詩人・ダンヌンツィオが私兵「黒シャツ隊」2,500人を率いてフィウメ市を占領し、フィウメ自由市の独立を宣言した。
フィウメには軍人やナショナリストからサンディカリスト、アナーキストから芸術家まで集まり、イタリアの反政府運動の拠点になった。ダンヌンツィオは「国家の最高原理は音楽」という憲法(カロナロ憲章)を発布して自ら大統領に就任。朝は市庁舎のバルコニーで即興の詩を披露し、夜は毎日大規模な コンサートを開いたりと、市を挙げての放蕩三昧を繰り広げた。
最終的にダンヌンツィオらはイタリア軍に鎮圧されたがフィウメは独立国として残った。
その後イタリアにムッソリーニ率いるファシスト政権が成立、フィウメはイタリアに併合された上で真中を流れる川で2つに分割され、片方がユーゴスラビア領となった。
第二次世界大戦後に全市がユーゴスラビア領に、ユーゴスラビア内戦でクロアチア領になる。