概要
フルネームは「フランツ・ペーター・シューベルト」。
ドイツ語の優れた歌曲を数多く作曲し、「歌曲王」と呼ばれる。
もちろんそれ以外にも、室内楽曲や管弦楽曲で様々な名曲を残した。
代表曲
歌曲
管弦楽曲
逸話
「魔王」について
歌曲「魔王」はシューベルト18歳の時に作曲された。
作品番号1番(op.1)が付いているので勘違いされやすいが、「魔王」はシューベルトの曲で“初めて出版された曲”であり、“初めて作った曲”ではない。
元となったゲーテの詩を読んで感激し非常に短時間で曲を書き上げたが、ゲーテへ曲を送って相手にされなかったという逸話が有名。
日本では中学校の音楽の教科書に載っており、幅広い世代で認知度が高い。
その他の逸話
1822年に作曲したピアノ独奏曲『さすらい人幻想曲』はあまりの難しさにシューベルト自身も演奏ができず、ついには「こんな曲は悪魔にでも弾かせてしまえ!」と癇癪を起こしたという。
シューベルティアーデ
詩に対する感性とピアノの使い方で、歌曲の新境地を開いたシューベルトですが、当時は交響曲やオペラで成功してこそ一流の作曲家と認められる時代で、歌曲では中々認めてもらえませんでした。
さらに彼は控えめで大人しく、お金にも欲がないため、社交的な場に自分から売り込むことが苦手でした。
しかし学生の頃からの友人たちが、『シューベルト君の才能を埋もれさせるなんて勿体ない!』『彼を有名な作曲家にしよう!』と応援グループ『シューベルティアーデ』を結成。(シューベルトはクラシック界きっての、数少ない良い人と言われている。友人たちは、詩人、俳優、画家など色んな職業の人たち)
生活の心配をせずに済んだシューベルトは、短い生涯で1000曲以上の作曲が出来たのは、支えてくれた友人たちのおかげでもあるのです。
【活動内容】
- 友人たちが定期的にシューベルト君の新作を聴きましょう!会(シューベルティアーデの集い)を開いてくれた。
- 歌曲のための詩を提供。
- 芸術談義の場を設ける。
- 友人に画家が多かったので、肖像画を沢山描いてくれた。
- 人生初の歌曲集も、友人たちが費用を出し合って出版。
- 友人たちとの定期的な宴会。
- 後半生のほとんどは、友人たちの家に居候生活(毎日の食事から着るものまで至れり尽くせり)。