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ジェノサイド

じぇのさいど

ジェノサイド(英: genocide)はある人種・民族・集団を、計画的に絶滅させようとすること。全滅・殲滅・完全殺戮といった意味で使われることが多い。キャラクター名や作品名に使われることもある。
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ジェノサイドとは、
1.『集団殺害』を意味する造語。
2.1に由来した人物や作品名。
3.1を元ネタにしたブラックジョーク

以下は1の解説である。
人物名およびジョーク等は後述。


解説

元々は、第一次世界大戦の最中の1915年の前後においてオスマン帝国アルメニア人に対して行ったアルメニア人虐殺を切っ掛けに、1944年にユダヤポーランド人の法律家ラファエル・レムキンが『占領下のヨーロッパにおける枢軸国の統治』の中で使用した造語である。
漢字では、『集団殺害』と表記する。
一般的には、その共同社会や民族を全滅させるほどの大量殺害を意味する。
ギリシャ語のγενοσ(種族)とラテン語 -caedes(殺戮)の合成語(=genocide)。

歴史

元々、複数の民族を支配する『帝国』であったオスマン帝国のイスラム教徒とその被支配民であるアルメニア人のキリスト教徒の間には微妙なわだかまりが存在していたが、そこに19世紀にはいるとアルメニア人へヨーロッパから啓蒙思想(=民族自決の思想根源)が、ロシア帝国からは独立のための支援がもたらされたことで一部のアルメニア人が過激化してテロ行為を行うようになった。この為、「ハミディイェ虐殺」や「アダナの虐殺」など地元住民の異教徒間や帝国軍との間で大規模な衝突が起こることもあった。
当時のロシア帝国は、帝国主義の余波により自国領以南に存在する他国の不凍港や肥沃な耕作地を切り取ろうと画策していて、国境を接するオスマン帝国はクリミア戦争をはじめとして何度も戦火を交え、ロシアに領土を奪われていた。アルメニア人のコミュニティ、その本拠地は当時のロシア帝国とオスマン帝国の国境に存在していて、ロシア側はアルメニア人に対して名誉利権をちらつかせることで自らの政策を有利に運ぼうとしていた。オスマン帝国側もアルメニア人に対して大幅な融和政策を打ち出すなどしていたが、概して日和見なアルメニア側の態度に鬱憤を溜め続けていた。
(何より、仲裁にまわるべき西洋の列強諸国がロシアの覇権体質に嫌悪を示しつつも同じ『キリスト教徒』のアルメニア人に同情的でもあったことが事態を複雑にしていった。)

そんな中、1914年の第一次世界大戦の勃発によりオスマン帝国領内のアルメニア人がロシアに寝返ってイスラム教徒の村落を襲撃、虐殺を行うという事件が頻発。オスマン帝国の主流派であったトルコ人を中心に『アルメニア憎し』感情が強まっていった。
そして、1915年4月19日、オスマン帝国軍とロシア軍との間に勃発したヴァン湖地区で行われたヴァン攻囲戦では、ハリル・ベイ率いる第5遠征隊がアルメニア人防衛線を突破することに成功し、7月にはマラズギルト-アフラート線まで押し戻し、8月にはヴァン湖周辺を制圧に成功する。
それと平行して、1915年4月から5月頃、戦闘地域での反国家・利敵行為を予防するとの目的で、ロシアとの戦闘地域であるアナトリア東部のアルメニア人をシリアの砂漠地帯の町デリゾールの強制収容所へと強制移住させる死の行進政策が開始された。
アルメニア人の組織的虐殺を事実として肯定する専門家によれば、強制移住のため家々から駆り立てられたアルメニア人の青年男子は村内の一箇所に集められ、まとめて殺害されたという。アルメニア人たちは徒歩で乾燥した山地を越えてシリアの砂漠へと向かう強制移住に駆り立てられた。ユーフラテス川沿いのシリア砂漠の町デリゾールへと向かう厳しい移動の中で少なからぬアルメニア人が命を落とした。
これが、ジェノサイドの元ネタとなった『アルメニア人虐殺』のあらましであり、アルメニアおよび各国のアルメニア人共同体ではオスマン帝国軍が指令を出したとされる1915年4月24日を『ジェノサイド追悼記念日』としている。

ただし、元ネタとなった事件は日華事変における南京大虐殺と同様に非キリスト教国にして敗戦国となったオスマン帝国を貶めるためのプロパガンダにも利用されている部分が多く、結果として流言飛語な逸話も多いとされ、某百科事典でも、肯定派と否定派の間に大きな隔たりと深刻な政治的問題をも含むため『歴史的な事実の究明はほとんど進んでいない』と記さざる得ない状況となっている。
この一連の迫害において死亡したアルメニア人の人数は、もっとも少なく見積もるトルコ人の推計で20万人から、もっとも多く見積もるアルメニア人の算出で200万人とされる。ただし、19世紀末にオスマン帝国領のアナトリア東部に住むアルメニア人人口はおよそ150万人という統計があり、その20年後に第一次世界大戦が始まったときの人口も、自然増と流出による減少によりほぼ同数であろうと考えられる。それらのうち、既にロシア領へと逃亡していた者や、カトリック、プロテスタント、イスラム教へと改宗して強制移住の対象から外された者を除く何割かが強制移住に駆り立てられたことになる。その人数はおよそ80万人から100万人ほどとする推定もあり、欧米や日本の研究者の幾人かは、60万人から80万人という犠牲者数の推定が妥当ではないかという見解を述べている。
ブレッブレな上にデジャヴを感じますねぇ。

『ジェノサイド』の発表と公式化。しかし…

1939年9月、ドイツ軍がポーランドに侵攻、第二次世界大戦が勃発した。
後の『ジェノサイド』の提唱者レムキンはこれを逃れ、その後スウェーデンを経てアメリカのデューク大学に渡る。1944年に連合国側についていたアメリカで、カーネギー国際平和財団から『Axis Rule in Occupied Europe(占領下のヨーロッパにおける枢軸国の統治)』を刊行。
レムキンは、ドイツの大学で言語学を学んでいる頃、1921年にアルメニア人虐殺の生存者でベルリンでオスマン帝国の元政治家で虐殺の指令を出したとされるタラート・パシャを暗殺したソゴモン・テフリリアンの裁判に関心を持ち、法律を学び始め、1929年に学位を取った経歴を持っていた。そのため、ナチスドイツの占領地域で行われているとされた幾多の蛮行とアルメニア人虐殺を結び付け、
同書のなかで、「国民的集団の絶滅を目指し、当該集団にとって必要不可欠な生活基盤の破壊を目的とする様々な行動を統括する計画」を指す言葉として、「ジェノサイド」という新しい言葉を造語した。

そして、1945 年の第二次世界大戦においてドイツによって行われた戦争犯罪を裁く国際軍事裁判であるニュルンベルク裁判東京裁判のドイツ版)の検察側最終論告において、「ジェノサイド」が初めて使用されるに至った。
…だが、ドイツ第三帝国によるユダヤ人虐殺等の真相が明るみになってくると、この定義だけでは生ぬるいとされていき、その上位互換である民族浄化を意味するホロコーストという概念が創造されるに至る。

使用上の注意

ぶっちゃけ、『個人ないし組織が特定の集団を一方的に迫害・虐殺』するというシチュエーションならばどんな場面や出来事でも当てはまってしまうため、よく情報を精査せず安易に用いると勘違い風評被害の原因となってしまう。

ぶっちゃけ、レムキンがジェノサイドという概念を成立させた論法自体が必ずしも同質の事象ではない物事をこじつけた『対象の悪魔化』の側面があり、これが公式化した背景にもユダヤ人ロビー活動があるという指摘がある。元ネタになったアルメニア人虐殺にしても、殺されたアルメニア人の少なからずが戦中に自らがイスラム教徒であるという理由で襲撃したクルド人の部族から復讐の時間だオラァ!」と復仇目的で襲撃された人数も含まれているというから(以下略
そのため、一般部門でもしこの言葉が使われた際にはプロパガンダの要素を排除して考察する必要がある。
政治学者の添谷育志も「ジェノサイド概念を超歴史的に適用することは、歴史責任問題を無限に拡大することになりかねない」とも指摘している。

とはいえ、最悪のイメージを持つホロコーストの下位互換というある意味での敷居の低さや語感の良さのためか、創作面での使用頻度は結構多かったりする。


登場作品名

  1. KONAMIのアーケードゲームbeatmaniaIIDXシリーズに収録されている楽曲及び 、そのアニメーション中に登場するキャラクターの名前。→GENOCIDE
  2. 勇者指令ダグオン』に登場するラスボスの名前。(CV:大友龍三郎
  3. ズームのアクションゲームシリーズ。


人物・キャラクター

  1. サイバーパンクニンジャ活劇小説『ニンジャスレイヤー』の登場人物の一人。ゾンビニンジャ。→ジェノサイド(ニンジャスレイヤー)


その他

  1. 笑点において、5代目司会者の桂歌丸が自身に対する罵倒ネタなどを回答者全員が行った場合に対して、回答者全員の座布団を全部没収させることを、視聴者の間では「歌丸ジェノサイド」と呼ばれている。


関連タグ

虐殺 殺戮 残虐 無慈悲 鬼畜
戦争 民族浄化 テロ

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