概要
アンネ・フランクは、20世紀前半に生きたユダヤ系ドイツ人の少女。『アンネの日記』の著者。ドイツ・フランクフルトにて生まれたが、ユダヤ人絶滅を党是とするナチスの政権掌握後、一家でオランダ・アムステルダムに亡命した。
フランク家は、幼い娘や年老いた祖母がいたこと、ビザの関係で逃げる事はしなかった。オランダは第一次世界大戦でも中立国として両陣営から攻撃を受けることがなかったという実績から、次回戦争が起きてもオランダは侵されないと一家は予測していたのだが5月10日にドイツに侵攻され、14日には正式に降伏するなど、ドイツ軍に全く太刀打ちできず、どのみち逃げる余裕はほぼ無かった。オランダがドイツに占領された後は、2年間に及ぶ隠れ家生活を送る。
「日記」は、この占領期間の中で、アンネたちユダヤ人が、外出も禁止されてしまった時期に書かれたものである。
もともと小説家志望で、日記は後の公刊を想定して書かれたものである。したがって、隠れ家での生活を忠実に記録したものではなく、アンネによる創作が一部混入している。また、出版を意図していたため、一部の登場人物は、名前を変更されている。
他に、私生活が赤裸々に記録されているため、生き残った者のプライバシーや、故人の名誉に配慮して、出版されているものは、オリジナルから削除されている箇所がある。特に、アンネは母エーディトと諍いが絶えず、母をかなり強く批判した記述が多いため、その部分は出版時に大半が削除されている。ただし、関係者全員が死亡したことを受け2010年には、ほぼ元のテキストのままの日記が出版されている。
1944年に隠れ家を発見されて逮捕・連行され、翌年にベルゲン・ベルゼン強制収容所にて病死したとされる。その正確な日付は現在もよく分かっていないが、連合軍が収容所を解放する数日前に亡くなったことは確実視されている。生存者の証言ではアンネは飢えと腸チフスで弱っていただけではなく両親が死んでしまったものと勘違いして生きる気力をなくしていたという。彫られた刺青の番号は不明。
日記は隠れ家の住人のうち唯一生き残った父オットーにより公刊され、世界中に読者を得ている。将来の夢は著名な作家になることであったが、奇しくも他の多くの芸術家同様に死後その名が広く知られることとなった。
人物
体は丈夫ではなかったものの、明朗活発で聡明な少女だった。反面悪戯好きで幼い頃は家族の手を焼かせ、思ったことをハッキリ言う性格だったため、隠れ家時代は多感な思春期ということもあって姉や母と衝突することもあった。
お父さん子で、思慮深く温厚な父オットーを最も敬愛していた。またおばあちゃん子でもあったらしく、母方の祖母アリーセに非常に懐いていた。アンネはアリーセが贈った万年筆を大切にしていたが、隠れ家生活中に紛失してしまっている。
移住は多かったものの明るい人柄の為にどの場所でも友人は多く、特に人生の大半を過ごしたアムステルダムのメルヴェデプレイン時代に出会ったハンネリ・ホースラル(日記におけるリース・ホーセンス)、ズザンネ・レーデルマンとは、「ハンネ、アンネ、ザンネの3人組」と呼ばれ、親友とも言える間柄だった。
日記でも『人々の為に役立ちたい』と語っている通り、他者への思いやりを持った優しい心の持ち主だった。隠れ家時代は生来の陽気な性格を発揮して隠れ家の大人たちを笑わせ、収容所に入っても語学力を活かして多くの人々に話しかけ、仲良しの子も出来た。病気の人や幼い子供らを気にかけ、時に自分の食糧を分け与える事もしていた。
アンネ本人は口が大きめなことを気にしていたが、十分魅力的と言える容姿で異性からも人気があり、アンネ自身も恋に積極的だった。日記における恋人のペーターと出会うまでにも数人の少年と淡いロマンスを楽しんでいる。