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概要編集


北村 滋(きたむら しげる、1956年12月27日 - )は、日本の警察官僚、実業家。2011年12月から2019年9月まで内閣情報官。2019年9月より2021年7月まで国家安全保障局長、内閣特別顧問。

2021年7月の退官後は、北村エコノミックセキュリティ合同会社代表を務めている。


生い立ち編集


生い立ち

東京都出身。私立開成高校、東京大学法学部を経て、1980年4月、警察庁に入庁。警察庁入庁の同期に、第26代警察庁長官の坂口正芳、第92代警視総監の高橋清孝がいる。


経歴編集


警察官僚として


1983年6月 フランス国立行政学院(ENA)に留学


1985年6月 埼玉県警察本部捜査二課長


1989年3月 警視庁本富士警察署長


1990年4月 山梨県警察本部警務部長


1992年2月 在フランス大使館一等書記官


1995年3月 警察庁警備局外事課理事官


1996年4月 警察庁警備局警備企画課理事官


1997年7月 官房総務課企画官、中央省庁等改革、警察改革を担当


2000年8月 交通局交通規制課長、LED信号機の導入をはじめとする交通安全施設整備事業に携わった


2002年8月 徳島県警察本部長


2004年4月 警備局警備課長


2004年8月 警備局外事情報部外事課長、第3回日朝実務者協議など、北朝鮮による日本人拉致問題に取り組んだ


2006年9月 内閣総理大臣秘書官(第1次安倍内閣)


2007年9月 刑事局刑事企画課長、取調べの適正化及び可視化に取り組んだ


2009年4月 兵庫県警察本部長


2010年4月 警備局外事情報部長


2011年10月 警察庁長官官房総括審議官(階級は警視監)


内閣情報官として

2011年12月に、民主党政権の野田内閣で内閣情報官に起用された。


2012年12月の政権交代により、自民党政権の第2次安倍内閣が成立したが、北村は内閣情報官に引き続き起用された。第3次安倍内閣、第4次安倍内閣でも留任した。安倍政権下では、内閣の情報機能の強化、特定秘密の保護に関する法律の法案策定、国家安全保障会議の立ち上げなどに携わった。


国家安全保障局長として

2019年 9月 国家安全保障局長に就任。同月、内閣特別顧問に就任。


2020年 4月 国家安全保障局に、経済に関する課題を専門的に扱う「経済班」を新設し主導。


2021年 1月 アメリカ合衆国国防総省から「国家公務員功労勲章」(en:Department of Defense Medal for Distinguished Public Service)を受章。


2021年7月7日、退任。




人物編集

情報のプロフェッショナル

警察庁警備局外事課理事官、外事課長、外事情報部長と外事畑を歩み、野田内閣で内閣情報官。続く第2次安倍内閣でも内閣情報官を留任し、2019年に国家安全保障局長に就任するまで一貫してその職にあった情報・インテリジェンスのプロフェッショナルである。 国際テロ情報収集ユニットの設立では北村が主導権を握ったとされている。


日本のCIA長官

長くその任にあった内閣情報官のカウンターパートがアメリカのCIA(米中央情報局)、モサド(イスラエル諜報特務庁)、SVR(ロシア対外情報庁)などの長官であり、北村は「日本のCIA長官」と目されている。


米ロ大統領との会談

2020年1月、アメリカのトランプ大統領と会談。その直後、ロシアのプーチン大統領とも会談した。両国のトップが外国の政府高官に時間を割くのは異例とされており、国家安全保障局長として、外交・安全保障の分野で北村は強い存在感を放っている。


退官後の活動

2021年9月、北村エコノミックセキュリティ合同会社を設立。

2021年10月、国士舘大学理事に就任。

2021年11月、経済安全保障法制に関する有識者会議の構成員に就任。

2022年6月29日、日本テレビホールディングス及び日本テレビ放送網の監査役に就任(天下り。

2022年7月、読売国際経済懇話会理事長に就任。

関連タグ編集

警察官 実業家

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