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アドルフ・アイヒマン

あどるふあいひまん

ナチス党員でナチス親衛隊中佐。ホロコーストに大きく関わった。
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アドルフ・オットー・アイヒマン(Adolf Otto Eichmann、1906年3月19日~1962年6月1日)

概要

ドイツ帝国ラインラントのゾーリンゲンで生まれたアイヒマンは1913年にオーストリア=ハンガリー帝国のリンツに引っ越し、友人は少なく、成績も悪く、暗い幼少時代を送った。
成人後は職を転々とし、1932年にナチスに入党し、親衛隊に所属。ユダヤ人対応に従事した。ユダヤ人への追放やゲットー移住などで業績を上げ、第二次世界大戦の開戦後はユダヤ人移住局に所在。ユダヤ人のマダガスカル島移住計画を構想したが、非現実的として却下された。その後ついに、ユダヤ人絶滅計画(ホロコースト)を推奨し、絶滅収容所への移送で指揮を執り、約600万人を虐殺に追い込んだ。
敗戦後、一時アメリカ軍に拘束されるが脱走し、ドイツ国内で潜伏した後にイタリアからアルゼンチンへ亡命。
地に潜り続けたが、1960年にイスラエル諜報特務庁(モサド)により拘束され、イスラエルへ送られた。1961年から裁判が始まり同年12月に死刑判決が下された。
何百万ものユダヤ人を絶滅収容所に送り込んだ責任者であり、戦後逃亡したナチス戦犯としてはかなりの大物であったことから、ふてぶてしい悪人か狂信的なナチ信奉者と想像されていた。
しかし裁判中での彼はどこの国でもに居そうな小役人的人物に過ぎず、ひたすら自分の無罪を訴え続ける小物ぶりは世界中の人間を戸惑わせた。

後日談

処刑後、アイヒマンはいかなる服従の心理に基づいて動いたのかそれが学者の研究対象となり、役者の演技によって擬似的に作り出された権威の下にどれ程の服従を人間は見せるのかが実験で試され、「アイヒマンテスト」と呼ばれる事に話が繋がって行くことになった。
2016年に開かれた「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」で、アイヒマンが死刑前に当時のイスラエル大統領に宛てられた無罪を求める恩赦請願書が公表された。

関連タグ

ドイツ ナチス 親衛隊 ホロコースト

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