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概要編集

ニコラウス・“クラウス”・バルビー(Nikolaus 'Klaus' Barbie、1913年10月25日 - 1991年9月25日)は、リヨンの虐殺者の異名を持つゲシュタポ所属の親衛隊大尉である。


リヨンの虐殺者編集

フィリップ・ペタンが首班を務める親独政府であるヴィシー政権下のディジョン、リヨンにゲシュタポの治安責任者として赴任する。1945年5月の終戦までの間に、ヴィシー政権下のリヨンで反独レジスタンスを鎮圧する任務に就いており、8,000人以上を強制移送により死に追いやり、4,000人以上の殺害に関与し、15,000人以上のレジスタンスに拷間を加えた責任者とされている。しかし実際には、この数字をはるかに上回る数のレジスタンスのメンバーやユダヤ人を虐殺した責任者と考えられている。また、孤児院に収容されていた44人の子供の虐殺に対する責任者ともされたほか、レジスタンス指導者だったジャン・ムーランを逮捕し死に追いやったとのちに供述している。


戦後の数奇な人生編集

アメリカ陸軍の工作員に編集

戦争が終結してもバルビーは罪の意識を微塵も感じておらず、国家社会主義の理想を奉じていた。

その強固な信念がアメリカの目に止まり、共産主義陣営に対する有力な駒として利用され、バルビーはアメリカ陸軍情報部隊やゲーレン機関に所属していた。


南米へ編集

戦犯のバルビーがアメリカの工作員として雇われていることを知ったフランスがバルビーの引き渡しを要求。しかしバルビーをまだまだ利用したいと考えていたアメリカはバルビーを南米に逃がすことを画策。ヴァチカンの反共思想の聖職者と共謀して南米へと国外逃亡した。


ボリビアでの活躍編集

1957年10月7日にはボリビア国籍を取得することに成功し、この後数十年間にわたり、ボリビアの軍事政権とアメリカの事実上の庇護のもとに、バルビーはドイツ系ボリビア人「クラウス・アルトマン」として、1964年から政権を握ったレネ・バリエントス・オルトゥーニョ将軍をはじめとする、ボリビアの反共的軍事政権の歴代指導者の治安対策アドバイザーを務めることとなる。

1967年10月に同国の軍事政権とCIAの協力の下で行われたチェ・ゲバラの身柄確保と処刑にも関与したと報じられた。

同時期に自分と同じように戦犯として追及されるのを避けるため南米へとやってきた元ナチス党員と連絡を取ってナチス再興の為の組織を結成したりもした。

またこの頃、バルビーがボリビア人アルトマンとして自分を戦犯として追い続けているフランスに赴いたせいでフランスに生存がバレ、ボリビアに身柄の引き渡しを求めたが、ボリビア政府は「ボリビア人をフランスに引き渡すわけにはいかない」と拒否し続けた。


ナチス再興の夢編集

1970年代にボリビアが民政になった頃に元ナチス党員と極右団体がルイス・アルセ・ゴメス将軍を中心に集まり、クーデターを画策。その計画は麻薬の密売していた南米の麻薬王の資金源をもとに死神のフィアンセという行動部隊を組織し、アンデス第四帝国を建設するという内容だった。アメリカは国家社会主義の復興というバルビーの計画を真に受けなかったことに加えて、南米に強固な反共の砦ができることを望んでいたのでバルビーの計画を容認した。

その結果として1980年7月17日のクーデターは大成功し、第四帝国建設まであと一歩となった。


終焉編集

しかしアメリカはクーデターが成功し、ボリビアの軍事政権が安定すれば麻薬の密売は政府によって管理されると考えていたのだが軍事政権そのものが麻薬を積極的に売り出すようになり、ボリビアの軍事政権はアメリカに見捨てられ、バルビーの第四帝国の夢は潰えた。

そればかりか新たにボリビアに成立した政権に軍事援助を含む様々な見返りと引き換えにフランスに売り飛ばされて国外追放された。


フランスの裁判編集

裁判の際に「自分がやったことはフランスがアルジェリアでしたこととさして変わらない」と発言して物議を醸しだした他、「あなた方が私を必要としたのに裁かれるのは私一人。そこに偽善がある」と自分だけを裁く理不尽さを皮肉ったりした。最終弁護では孤児院の虐殺に関しては否定し、強制移送はすべて命令であったとし、レジスタンスとは戦ったが彼らを尊敬していたと述べた。

ただし、その弁護は法廷に受け入れらることなく終身刑に処された。

因みにゲシュタポ時代に戦ったレジスタンス相手に敬意を持っていたのは本当らしく、アルトマン時代に自分が拷問して殺したジャン・ムーランの墓にわざわざ訪れてまで献花している。

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