概要
ファシズムとは、狭い意味では20世紀前半にイタリアのベニート・ムッソリーニおよびファシスト党が提唱した政治運動及び思想を指し、広い意味ではドイツのナチズムや日本の軍国主義などを含む、類似した全体主義的な思想・運動・体制を指す。
ファシズムを奉じる人をファシストという。
語源
この単語の語源はイタリア語の「ファッショ(fascio、束、束ねる、団結)」という単語であり、この単語の元はラテン語の「ファスケス(fasces、束桿、斧の回りにロッドを束ねたもの、古代ローマにおける執政官の権威の象徴)」である。 つまり訳語では「団結主義」「結束主義」である。これを唱えたムッソリーニ等ファシスト党は「団結党」、「結束党」と訳すことができる。
思想
ファシストは、国家は強力な権限を持つ指導者と、それに無条件に従う機能的な組織からなるべきであると考えた。
そのため、彼らは「国家が個人のアイデンティティを与える」と考え、「国家の頭にあたる政府に複数の考えは不要である」との考え方から、政治から複数政党を排除し、単一の政党による独裁政治を提唱した。
彼らは特権階層を攻撃して国民の支持を得るとともに、産業の国営化・軍備増強による近代化を提唱し、共産党や社会党を弾圧、民主主義や自由、平等、合理主義を否定し、権威への絶対的服従を要求した。
拡大解釈
「ファシズム」の語は、ファシスト党と類似した思想・体制を意味する類概念として用いられ、ファシズムと自称しなかったドイツのナチスやスペインのフランコ政権、日本の軍国主義もファシズムと呼ばれた。
さらに、単なる全体主義及び軍事独裁政権に対して用いられることもあった。 また、この単語が、「権威主義」(非民主的な国家体制全般を指す)、あるいは「左翼」及び「右翼」双方に対する侮蔑的表現として用いられたこともあり、この単語(及びファシズム)は「最も誤用され、過剰使用された」と言われている。
とはいえ、具体的にファシズムの定義とはなんなのかとなると代表例である当時のドイツとイタリアでさえ大量の差異が存在するため、具体的な定型化は不可能である。
なぜかというと共産主義のように「理想が先にあって、それを実現するために行動する」というプロセスではなく、「指導者による命令と行動が先にあり、それを正当化する理論を構築する」というのがファシズムでは多かったためであり、必然的にファシズム運動はそれぞれで大量の差異が発生するのである。
日本では
戦前の日本、とくに昭和期の大日本帝国もファシズム国家と見なされることがある。丸山真男など左派の一部学者は「天皇制ファシズム」と呼んでいる。
しかし、昭和期の日本は独伊と枢軸同盟を結んでいたが、あくまで共通の敵の米 英 ソを牽制するためで、思想まで一緒という訳ではなかった。コミンテルンは明治以降の日本の体制をファシズムではなく「日本帝国主義」とし、現在の中国共産党や日本共産党も公式にはこの見解を貫いている。
各政党を統合して結成された「大政翼賛会」は一党独裁というよりも、多数政党の集合体の性質が大きく、一枚岩の政治組織として機能していなかった。国家元首は天皇としていたが、政治実権はほとんどなく、独裁者と呼べるほどの権限や強権性のある指導者も現れなかった(これは同時に強大な軍部を誰一人として統制できないこと、その軍部自らすら己を制御できない、という本末転倒な事態になっていた、ということである。言うなれば「権力の空白」と「責任者の不在」の極致であり、その点でファシズムや軍事独裁政権でも、ありえない状況といえる)。
しかし、戦前の日本がファシズムと無縁だったかというとそうではない。二・二六事件を起こした青年将校と、彼らに思想的影響を及ぼした北一輝は、天皇を明確な指導者としたファシズム体制を目論んでいた。
近衛文麿らはファシストイタリア、ナチス・ドイツ、ソ連のような全体主義国家の台頭を見て「バスに乗り遅れるな」というスローガンを掲げ、日本の全体主義化を指向した(新体制運動)。
しかし、「ファシズムは日本の国体に反する」と危惧した尊皇主義者や、保守的な官僚や政党政治家などの既得権益者によって新体制運動の精神は骨抜きにされ、日独伊三国同盟の締結と大政翼賛会の結成にとどまり、ナチス・ドイツやソ連のような全体主義体制は結局成立しなかった。
昭和天皇自身も五・一五事件で犬養毅首相らが暗殺された後で、元老の西園寺公望に後継首相の条件として「ファッショに近き者は絶対に不可なり」と述べており、昭和天皇はファシズムのような全体主義思想の増大を危惧していた(同時に昭和天皇は天皇親政を望む尊皇主義を拒否しており、ファシズム成立を嫌った政治家や官僚も軍部を統制し国政を主導する力自体はまるで持っていなかった)。
戦後日本でファシストを自称した者に笹川良一がいる。笹川はベニート・ムッソリーニを崇拝していたが、基本的に親米派で太平洋戦争に反対していたこともあり、ファシストを公然と自称していたにもかかわらず戦後の政治に隠然たる影響力を及ぼしていたといわれる。
余談
イタリアにおいては、第二次世界大戦後もファシスト党の流れを汲むネオ・ファシズムと呼ばれる勢力がが存在し、穏健化してはいるもののイタリア政界に一定の影響を及ぼしている。
現在の日本で、ファシストを自称する者としては外山恒一がいるが、彼の思想は「ファシズムに最も近い思想はアナキズムである。アナキズムを突き詰めるとファシズムに至る」という彼独自のファシズム理解によるものである。また、世間で比喩として使われている「ファシズム」は実際には「スターリニズム」であるとしている。
橋下徹の手法はファシズムを捩った“ハシズム”と称されることがある。
小林よしのりは「わしズム」を称するゴーマニストと自称している。
氷室京介は1989年にアルバム「ネオ・ファッショ」を発表した。