概要
ポルトガルの政治家。1889年4月28日生まれ、1970年7月27日死去。
元々神父になろうと神学校で学んでいたが当時教会では腐敗が進んで居た為断念、コインブラ大学で法学を学び、さらに経済学の博士号を取る。
その才を買われ財務大臣に就任して経済再建に成功。
さらに総理大臣に就任、一時は大統領まで兼任するほどであった。
彼の努力により第2次大戦の戦火を免れ、ポルトガルは1970年代まで広大な領土の維持に成功した。
しかし、彼の施工したエスタヴォ・ノヴォ体制は植民地の維持の固執し農業を重視し過ぎた為ポルトガルの国力は低下してしまう。
同じイベリア半島の独裁者フランシスコ・フランコ総統には非常に高く評価されて居り、「私が知っている最も尊敬に値する最も完璧な政治家はサラザールだ」とまで絶賛されている。
晩年にサラザールは療養中に頭を打って昏睡状態になり、2ヶ月ほどで覚醒したがその時既に権力の座からは退けられていた。
しかし、彼がショック死しないようにと側近たちは執務室をそのままにし、偽の新聞や何の意味もない命令書を提供し続けた。彼もそのまま気づくことはなく「執務」を死ぬまで執るという、小説のような最期を迎えている。
ちなみにサラザール自身はなんとなく状況を察していたようで亡くなる一ヶ月前、家政婦には「皆が私に政治の話をしなくなった。でも私は何も言わない。権力や国政に愛着があると思われたくない。だが、私が追い出された事は良くない、仕事をそんな風に処理してはいけない」と話していたという。
サラザールの死から間もなくの1974年にポルトガルは「カーネーション革命」を経て、既に行き詰っていた体制は終わった。
私生活は生きてる間はほとんど明かされていなかったが、サラザールは生涯、独身で家庭をもつことは無かった。女性と交際したことは何度もあったが、いずれも長続きしなかったという。
関連項目
サラザール・スリザリン:一部ファンから名前のモデルではないかと言われている。