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アルベルト・シュペーア

あるべるとしゅぺーあ

ベルトルト・コンラート・ヘルマン・アルベルト・シュペーア(Berthold Konrad Hermann Albert Speer)はヒトラーの側近の一人で、建築家。
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概要

1905年マンハイムに生まれる。有名な建築家一家の次男として第一次世界大戦まで裕福な暮らしをし、世界恐慌とハイパーインフレが落ち着いた1924年にカールスルーエ工科大学からミュンヘン工科大学に転学。

1930年に友人に誘われてナチス党の党集会に参加し、そこでアドルフ・ヒトラーを目にした。過激な人物像を抱いていたシュペーアはこの時の紳士的で落ち着いたヒトラーに好印象を持ち、共産主義の脅威を説くヒトラーに共感をした。

翌年に入党し、党内で数少ない自動車保有者だったことから党の運転手連合にも入り、親しかった党員カール・ハンケの伝で党の建築を任された。ヨーゼフ・ゲッベルスも彼の建築を高く評価し、芸術家でもあったヒトラーに紹介され、そこからヒトラーと親しくなった。

1934年から党主任建築家に任じられ、ベルリン建設総監にもなり、ヒトラーと共にベルリンを世界の中心都市にする「ゲルマニア計画」に参加したが、第二次世界大戦勃発を受け中断となった。

1942年、軍需大臣フリッツ・トートの事故死を受け、ヒトラーの指名でシュペーアは軍需相に就任。建築家のシュペーアに軍需は門外漢であったが、ヒトラーの信任を背景に前任者のトートが創り上げたプランを実行して軍需品の生産に合理的再編を施し、生産水準をこれまでで最高に引き上げた。また、現場主義もあり、現場視察を欠かさなかった。

技術者として兵器開発にも積極的に関わり、V2ロケットの開発と量産を確立した。その一方で、ヒトラーが好む強力な新兵器よりも、信頼性が高く使い勝手の良い兵器を大量生産しようとし、ヒトラーと衝突するようになる。また原子力に着目し、原爆開発をヒトラーに進言したが、ユダヤ的であるとしてヒトラーの反対を受け断念した。

1944年、連合軍の攻撃で荒廃していく祖国を目の当たりにして、勝利の見込みはもはやないと判断。絶望と心痛から病に倒れるが、ヒトラーの励ましで復帰。復帰後はドイツの敗戦を前提にいち早く戦後復興できる術を講じるも、ヒトラーから焦土作戦の命令を下され、作戦に反対したシュペーアは、できる限りの手段で焦土作戦を阻止しようと努力した。

1945年、ベルリンはソ連軍に包囲されて総攻撃を受ける中、シュペーアは首相官邸地下壕を訪問し、ヒトラーと会談。会談の内容は明かされておらず、焦土作戦の妨害を告白したとも、自分が後継者になることに反対の意を伝えたとも言われる。これが二人の最後の面会となった。

ベルリン脱出後に臨時政府閣僚にもなり、ラジオで国民に向けて激励の放送をした。ニュルンベルク裁判で工場での捕虜の使役やホロコーストの責任を問われたが、戦犯の中で唯一自ら戦争犯罪を認め、禁固20年の判決を受けた。釈放後に回顧録を出版。

1981年にイギリスの愛人宅を訪問中に心臓発作で急死した。享年76歳。長女のヒルデは緑の党の政治家、長男のアルベルトはドイツ有数の建築設計事務所を営む高名な建築家である。

人物

ヒトラーが心を開いた数少ない親友の一人であったシュペーアは、基本穏やかなお人好しの性格で、誰からも好かれ、多くの友人を作った。また、建築家として真面目な仕事人の技術者で、門外漢でありながら軍需の生産体制を飛躍させ、組織者としての才能も見せた。その一方でナチス高官でありながら、権力志向がなく権力闘争に関わらなかった。

基本的に有能で真面目かつ勤勉な善人タイプだが、いまいち倫理意識に欠けておりユダヤ人虐殺などに批判意識を持たず、ヒトラーのお気に入りになってしまったがゆえに巨大な時代の流れの渦中に巻き込まれ、ナチス・ドイツの戦争犯罪に加担することになってしまった。

映画『ヒトラー 〜最期の12日間〜』に登場し(演:ハイノ・フェルヒ)、ヒトラーらが隠れる総統地下壕に訪ねて来た際、病床にあったヨーゼフ・ゲッベルスの妻・マグダの元にも訪ねているが、二人きりになってる時、まるで元カノ元カレみたいな様子が見られるがオリジナルの展開である。

関連イラスト

軍需相
届かぬ想い



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シュペーアドイツヒトラーナチス第三帝国第二次世界大戦紳士録

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