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生涯編集

ヴィルヘルム2世(全名:フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヴィクトル・アルベルト・フォン・プロイセン)とは、ドイツ帝国3代目の皇帝かつ9代目のプロイセン国王である。

出産時の異常によって左半身に障害を負っており、左腕は右腕よりも15cmほど短く、自由に動かすことができなかった。しかし並々ならぬ鍛錬によって片手だけを使った食事方法をマスターし、乗馬もできるようになった。

イギリス王室から嫁いだ母とはギクシャクした関係で、その反動もあって強いドイツへの憧れを抱いて育った。

祖父ヴィルヘルム1世が91歳の高齢で崩御したため、父フリードリヒ3世が1888年に即位し皇太子となったが、既に病に侵されていたフリードリヒ3世は僅か100日で崩御。同年内に29歳の若さでドイツ帝国を率いることとなった。

即位してすぐ宰相ビスマルクを辞任させ、親政体制を敷いた。統一間も無い帝国を成長させるため、海外に雄飛して植民地を獲得しようとティルピッツ海相に海軍を増強させた。オーストリア・ハンガリー二重帝国とは兄弟国として関係強化を図り、イギリスロシアフランスとは対立関係になった。黄色人種アジアを危険視する「黄禍論者」で、日露戦争での日本勝利には不快感を示し、同時に将来日本が統一アジアのリーダーになり欧米と対決すると予想・危惧していた。

反面、ドイツを模範に近代国家構築にまい進する日本に対する好意的な発言やベルリンでたまたま居合わせた日本人学生を激励したという逸話もあり、危険視する黄色人種の中では日本に対して比較的好感を抱いていたと思われるエピソードが残されている。


そして、1914年にサラエボ事件が起こるとオーストリアに協力してセルビアに宣戦布告したため、それを契機に各国がなし崩し的に続々と参戦したため第一次世界大戦勃発を招いた。戦争が続いた結果、ドイツ革命が起こって帝政体制が崩壊して敗戦国となり、オランダへ亡命し、そこで一生を終えた。


晩年には息子である元皇太子ヴィルヘルムがヒトラーと組んで帝政復活のためにヒトラー政権の首相になろうとするのを阻止するなど、若い頃のやや直情径行なイメージとは異なる判断を見せている(首相になることは共和制を追認することだと見做していたようである。後にヴィルヘルム元皇太子はヒトラーに接近した事が祟って、戦後は軟禁生活を余儀なくされた)。ヒトラーに帝政復活の意志がないのを見抜いて以降は支持も消極的になった。一方でナチス・ドイツの戦争遂行計画には全面的に賛意を示していたと言う。独ソ戦の始まる直前に肺閉塞で死去した。ドイツが第二の大戦で灰燼に化すのを見ずに死ねたのは彼にとって幸いだったのかもしれない。

また、皇后に先立たれるとロイス侯家出身で30歳近く年下のヘルミーネと再婚した(2人の間に子供はいない)。ヘルミーネも再婚で、連れ子の末娘はまだ母の元にいたままであったが、ヴィルヘルム2世は彼女も引き取って育て、彼女は後に帝の孫の一人と結婚している。


その他情報編集

ヴィルヘルム2世を演じた俳優編集

Werner Hinz(1942:Die Entlassung)

Barry Foster(1974:Fall of Eagles)

Robert Stadlober(2006:Kronprinz Rudolf)

Martin Pasching(2009:Musical Rudolf)


誕生日編集

1859年1月27日


関連イラスト編集

【カイゼリネン】Die Welt Politikドイツ漫画「エムデンな野郎ども」

別名・表記ゆれ編集

ヴィルヘルム二世

関連タグ編集

ドイツ帝国 第一次世界大戦 ホーエンツォレルン家

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