プロフィール
概要
ドイツ統一に奔走したプロイセンの宰相。そしてドイツ帝国最初の宰相である。オーストリア中心のドイツ統一を掲げる大ドイツ主義や、自由主義者の主張するドイツ連邦の構想に対抗してプロイセン主導のドイツ統一を目指し実現させた。
宰相就任時にドイツ統一について「この問題は演説や多数決によってではなく、鉄(軍備)と血(戦争)によってのみ解決される」という演説を行った事から"鉄血宰相"とあだ名された。
ドイツ統一戦争を経て、普仏戦争でフランスのナポレオン三世を倒し、主君のプロイセン王ヴィルヘルム一世をドイツ皇帝として即位させた。プロイセンを愛するヴィルヘルム一世はドイツ皇帝になることを拒んだが、ビスマルクが説得し皇位につけたという。
最後は自身を嫌うヴィルヘルム2世に罷免されるが、退陣後もビスマルクの影響力は絶大であった。
人物
マキャヴェリを模範、ナポレオンを反面教師とし、現実主義に基づく政治手腕は卓越したものがあった。当初は強硬保守党派の一員であったが、保守イデオロギーに固執しすぎず、必要なら自由主義者や社会主義者とすら手を組む老獪さを身に付けていた。ドイツ国成立後は自由主義勢力と協力して様々な近代化を推進。社会主義者ラサールの意見を取り入れて強制加入の社会保険制度を創始する一方、反体制派の社会主義者は社会主義者鎮圧法で弾圧した。また、「難関を突破した被差別民こそ本当の実力がある」と言う思想を持つ、親ユダヤ主義者でもあった。
ビスマルクの巧みな外交政策は「ビスマルク体制」と呼ばれる相対的平和状態をヨーロッパにもたらし、それは第一次世界大戦直前まで続いた。
今日でもドイツの保守派の政治家から英雄視される人物である。
後のナチス総統アドルフ・ヒトラーからも強く尊敬されていたが、同時に親ユダヤ人だった部分は一切同調せずに「ユダヤ人の危険性を認識しなかったのは誤り」と批判していたと言われる。
至言
- 「国家は敗戦によっては滅びない。国民が国家の魂を失った時に滅びる」
- 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
余談
- すさまじい暴飲暴食の癖があった。というのも、食事の際には手当たり次第に食べ物を口に含んでからワインで強引に流し込むという悪癖のためであった。しかも、客人との食事でも平気でその癖を行っていたため、ビスマルクと初めて食事を共にする人はみな大なり小なり驚愕する羽目になるのが通例だった様である。イギリス首相ベンジャミン・ディズレーリの前でもこの暴飲暴食を披露して彼をドン引きさせてしまったという逸話まで残っている。もっとも健康を害し始めると医者からのアドバイスを受け入れて気を付けていたという。
- 自称で顔面神経痛という病気を患っていた……が、実際は単なる虫歯だったと言われる。なぜ、顔面神経痛などど話していたのかというと「歯医者が怖かった」というのが真相だった模様。実際に「歯医者は患者を虐めるのだ」という泣き言を洩らしたこともあったとか。また、慢性的に不眠症も患っていたとされている。
関連
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