概要
『君主論』や『戦術論』『政略論』などで有名な、イタリアルネサンス期を代表する思想家。
政治理論に科学的な手法を持ち込み、政治は宗教・道徳から切り離して考えるべきであるという現実主義的な政治理論を創始したことで、歴史上ではじめての近代的な政治思想家と言われる人物。
なお世間では『君主論』で述べられたマキャベリズムの元祖である、という誤解が浸透しているが、後述の生涯から共和制と君主制の両方を体験したことでどちらの長所・短所も論じており、どちらかといえば理想の政体を決められず悩んでいた『政略論』の方が本音に近い。
日本語では「マキャヴェリ」「マキャベリ」「マキァヴェリ」「マキァヴェッリ」など様々な表記が見られる。
生涯
1469年、フィレンツェ共和国の法律家の三男坊として誕生。
決して裕福ではなかったが両親の愛情に恵まれ、当時の上流階級の必須教養であったローマ・ギリシャ古典やラテン語等を学んで育つ。
当時のイタリアは幾つもの小国に分裂し、それらがさらにフランスやスペインなどの外国の勢力と絡みながら争ういわば戦国乱世の時代でもあった。当然、マキャヴェリの暮らすフィレンツェも例外ではなくメディチ家の追放やサヴォナローラの神政とその失敗などの政治的な動乱を目の当たりにしながら青春時代を過ごす。
1498年に共和国政府の内政・軍政を担当する第二書記局長に選出される。さらに「自由と平和のための十人委員会」秘書官・大統領秘書官も兼任。周辺諸国との交渉などあちこちを飛び回りながら多忙な日々を送る。
その頃、フィレンツェにとって生命線の一つであった交易都市ピサが勝手に独立してコントロール下から離れていることが問題となっていた。
マキャヴェリはピサの再征服を主張し、自ら軍事行動の立案から実行まで関わる。
しかし1499年の一度目のピサ侵攻は、兵力として雇った傭兵部隊が再領有目前で勝手に撤退して失敗。1500年の二度目のピサ侵攻にはフランス王から兵を借りて臨みマキャヴェリも軍顧問副官として赴くも、散々フランス軍に振り回されまくった挙句に失敗する。
後年のマキャヴェリの「自国の軍を持つ必要性」や他人の褌で相撲を取ることを考えてはならないという主張は、この経験に基づくといわれている。
1502年、チェーザレ・ボルジア率いる教皇軍がフィレンツェ近くのウルビーノを征服したことでマキャヴェリは使節として派遣され、チェーザレと交渉、和議を結ぶ。
この時、古典を学び諸国を飛び回る中で様々な為政者を見聞きしていたマキャヴェリは、権謀術数に長けるチェーザレの姿に理想の君主像を見出すようになる。
1504年、マキャヴェリは自らの経験と考察から、国の根源は傭兵に拠らない軍事力にあると確信、市民兵による『国民軍』の創設を主張・計画する。
貴族や富裕層の中には国民軍創設に反対する者もいたが、それらをはねのけてコンタードの農民を徴兵し、自ら軍部秘書となって国民軍を実現させる。
しかし1512年、国民軍はメディチ家の復権を目論むスペイン軍にあっさり敗北。
マキャヴェリは失職に追い込まれた上、反メディチ家と目されて逮捕されてしまう。ジョヴァンニ・デ・メディチが教皇に選出されたことで大赦によりすぐに釈放はされたものの、年収の10年分にあたる保釈金を友人3人に借りて支払っている。
こうして1513年以降、フィレンツェ郊外の田園にて隠遁生活を余儀なくされたマキャヴェリではあったが、著述活動に精を出すようになる。
彼の執筆活動は政治・歴史・軍事の評論から劇作までに及び、特に喜劇は大好評を博して文筆家としての名声を獲得した。だがそれでも愛国者であった彼にとって公職への執着心は捨てきれなかったようで、『君主論』の執筆の際はわざわざ官服に着替えてから執筆していたことが明かされている。
1516年、フィレンツェ統治者にロレンツォ・デ・メディチが就任すると、マキャヴェリに謁見の機会が与えられ、謁見の場で彼がロレンツォに献上したのが著作『君主論』であった。
『君主論』は「君主たるものがいかにして権力を維持し政治を安定させるか」という政治手法を科学的に考察して書き記された謂わば『君主のためのハウツー本』であり、マキャヴェリはこの本を就職用パンフレットとして献呈することで、メディチ家に取り入ろうとしたのだった。
結局、この時は成功することがなかったのだが1520年にはロレンツォの後任者であったジュリオ・デ・メディチ(後の教皇クレメンス7世)に『フィレンツェ史』の執筆を依頼されるなど、公職に就くことはできないまでもメディチ家政権下において顧問的に扱われるようになる。
だが1527年、教皇クレメンス7世(ジュリオ)がローマ略奪の惨事を招いてしまったことで、メディチ家は再びフィレンツェを追放されてしまう。それに伴ってマキャヴェリもまた政権から追放される憂き目に遭い、失意のうちに病で急死した。享年58歳。
フィクション作品におけるマキャヴェリ
アサシンクリード2
日本語吹替声優:白熊寛嗣
主人公エツィオに協力するアサシンの一人として登場。
彼の登場によりこれまでエツィオに協力していた者たちの多くがアサシンである事が判明し、またエツィオを真のアサシンとして認める儀式を執り行う。
続編『ブラザーフッド』にも引き続き登場。アサシンの宿敵であるチェーザレ・ボルジアを史実通り理想の君主像として高く評価しつつも、エツィオ達に助力し共にアサシンギルドの再興する。エツィオの協力者の一人である盗賊ギルドの長・『狐』とは考え方の違いから互いに反発し合っている。
エツィオ三部作の後日談である『エンバース』では本人は登場しないが、刺客に狙われたエツィオが家族をマキャヴェリの下へ一時的に避難させるシーンがある。
チェーザレ_破壊の創造者
忽領冬実の漫画。チェーザレの協力者として登場。
武装少女マキャヴェリズム
黒神遊夜・原作、神崎かるな・作画の漫画。言うほどマキャヴェリの君主論は関係ない。
関連タグ
- チェーザレ・ボルジア⋯君主論の理想とされた、ルネサンス期のイタリアで活躍した王。
- フリードリヒ2世(プロイセン)⋯君主論を批判する『マキャベリ駁論(反マキャヴェリ)』を上梓。
- 現実主義勇者の王国再建記