概要
芯棒を備えた特殊なオーブンを使い、層を重ねながら焼いて作る。
日本では第一次世界大戦時、青島で非戦闘員捕虜となったドイツの菓子職人カール・ユーハイム(「ユッフハイム」、あるいは「ユッホハイム」とも)により、1919(大正8)年3月4日、広島県物産陳列館に於いて初めて製造販売された。このことから、3月4日は「バウムクーヘンの日」と定められている。
何層も重ねて焼き上げた断面図が年輪のように見えるため「年輪を重ねる=長寿・繁栄のしるし」として、祝い事に供されてきた歴史がある。
この点に着目したユーハイムの売り込みが成功したことがきっかけとなり、日本では結婚式の引き出物としても好まれている。
日本では小型なものならリング状のままでスライス、大型なものなら縦に切ることが多い。
本場ドイツではその模様に沿って薄くスライスしたものを皿に乗せ、好みで生クリームを添えたりブランデーをかけたりし、フルーツなどを盛り付けて頂く。ユーハイムの「量り売りバウムクーヘン」の切り方は、この方法に倣っている。
意外だが、本場のはずのドイツではあまり店頭で見かけない菓子である。
まず、作り方の関係で専用の設備や技能を要するため、一般的な菓子店では扱っていないことが多い。さらに、綺麗に美味しく焼き上げるためには、常にオーブンの火に曝され続けながら、焼き上がり具合を見守る必要がある。このため「バウムクーヘン焼きは長生きしない」とまで言われていた。
- 何事も厳しく規定するドイツでは、バウムクーヘンも製法から材料まで定められており、これを守らなければ「バウムクーヘン」として販売することが認められていない。こうしたお国柄も、バウムクーヘンが廃れた一因だという。
また、もともと新年の祝いに食べるものであり、年を通して作られる菓子ではなかったこと、さらに伝統菓子ゆえに古くさいイメージがあり、若い世代があまり好んで食べなくなっていることなども理由として挙げられる。
ドイツ人でも日本に来て初めて食べたという人も少なくなく、ドイツ大使館のツイッターでもこのように述べられている
関連タグ
ブッシュ・ド・ノエル - 薪の形をしたフランスのケーキ。こちらは、新年の祝いに薪を贈っていた古い慣習を、ケーキの形で残そうと発明されたものである。
碇シンジ-新世紀エヴァンゲリオン(テレビ版第8話)において弐号機に搭乗した際、アスカから「ちゃんとドイツ語で考えてよ!!」と怒鳴られ、思わず「ば、バウムクーヘン?」と口にしている。(当時はシンジが「バウムクーヘン」がドイツ語だと知っていることに驚く視聴者もいた)
バウムクーヘンが好物の人物
- オットー・フォン・ビスマルク・・・バウムクーヘンを小さくカットしてジャムをはさみ、チョコレートをかけたもの(バウムクーヘン・シュピッツ)が好きだった。
- 大坪由佳 JKバウム(かな子バウム)
外部リンク
ユーハイム・・・カール・ユーハイムが創業した菓子店