解説
1915年(大正4年)に広島県の物産品の販売促進を図る拠点とすることを目的として建てられた。設計は明治末から大正にかけ日本で活動していたチェコ人の建築家ヤン・レッツェル。
大胆なヨーロッパ風の建物で、全体は3階建てのレンガ造りで部分的に鉄骨を用いている。中央には5階建ての階段室が設けられ、その上に特徴的な銅板の楕円形ドームが載せられていた。
当初は広島県物産陳列館と呼ばれたが、後に広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館と改称された。県の物産品の展示・販売を行うほか、博物館・美術館として文化的役割も担っていた。
第一次世界大戦が終戦した翌年の1919年(大正8年)3月に開催されたドイツ技術工芸品展覧会では、日本で初めてバウムクーヘンの製造販売が行われた。
展示された作品は、当時似島に収容されていたドイツ兵の捕虜たちにより製作され、件のバウムクーヘンは元々ドイツ菓子職人であったカール・ユーハイム(神戸ユーハイムの創業者)の手による。
しかし第二次世界大戦が激しくなった1944年(昭和19年)3月、産業奨励館としての業務は停止され、行政の物資統制事業の拠点として使用されていた。
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、アメリカ軍のB-29爆撃機エノラゲイによって行われた広島市への原子爆弾による無差別攻撃で壊滅。
以後、原爆ドームと呼ばれている。