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生涯

ベルリンの裕福な家庭に生まれる。ダンサーの道を怪我により断念後、女優兼映画監督としての道を進んだ。

制作、監督、主演をこなした『青の光』がヴェネチア国際映画祭で銀賞を獲得して注目を集めると、ナチスの目に留まる。
ナチスはレニに宣伝用の映画作成を依頼したが、当初彼女は政治に関心がなく、またナチス政権下で仕事を失ったユダヤ人の同僚達を見ていたことからさほど乗り気ではなかった。しかし、ヒトラーの熱心な誘いと映画人としての野心に負け、最終的には承諾する。
この時期に作られた『意志の勝利』と『オリンピア』は、現在においても記録映画の金字塔とまで評されており、名実ともに彼女の映画人としての絶頂期であった。

しかし、この経歴が彼女の後半生を破壊してしまう。第二次世界大戦後、ナチスの協力者と見なされて社会的に腫れ物扱いを受けた彼女は映画界でも干され続け、結局戦後作成した映画は100歳で撮影した遺作を含め僅か2本であった。

ナチス協力者として

戦後、レニは当時におけるヒトラーへの熱狂は認めつつも、党と国家の全面的なバックアップを受けたナチス協力者としての自分の責任を「美だけを追求しただけ」と一切否定した。自伝においても自己弁護が目的と見られる虚飾が多く、ドイツにおける彼女の評判は頗る低い。
彼女が生きていた当時から、実際はヒトラーをはじめとするナチスのメンバーと親しく付き合っていたことが史料でも明らかになっており、インタビューで生き生きと撮影手法について自慢気に語っていたことなどから、彼女の弁を素直に採用する専門家は少数である。

なお、彼女はゲッベルスがとにかく嫌いだったようである。映画界における主導権争いだけではなくスケベであった彼が権力をかさに着て女優を漁っていたことを見聞きしていた、彼女の自伝が正しければひどいセクハラを受けたことが有力視されており、いかにゲッベルスから日常的に制作妨害を受けたかを書き綴っている。
一方で、当のゲッベルスは宣伝効果よりも美を重視した彼女の制作方針を嫌いながらもその才能を多いに利用価値ありと認めており、レニの証言とは裏腹に全面的なバックアップを行っており、記録にあるかぎりでは露骨な妨害をしたという確証はない。

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