生活の党
せいかつのとう
日本未来の党の分裂騒動の際、組織や資金および小沢軍団のメンバーを頂いて2012年末に出来た党である。政党助成法の関係で、日本未来の党が貰うはずだった政党交付金(8億6500万円)はこの党が貰っている。設立当初は森裕子が代表を務めたが、2013年1月に代表を小沢に交代。ある意味いつもの小沢一郎の政党である。
結党最初の選挙となった2013年(平成25年)7月の参議院選挙では自党の独自候補数名に加えて当時無所属で出馬した山本太郎を支援したが、出馬した党員全員が落選し小沢の地元岩手でも勝利を逃し、残ったのは非改選の衆参両院合わせてわずか9名となり、小沢の求心力低下を印象づけることとなった。
2013年(平成25年)に党員であった元議員のはたともこが生活の党を離籍して山本太郎の公設第一秘書になっている。この件は小沢の了承を得たものであり後述のように以降も山本との連携を強めていった。
その後も党の影響力低下を止められず、2014年(平成24年)の衆議院選挙にあたっては小沢了承の元で山岡達丸をはじめとした幾人かが古巣の民主党へ戻っている。選挙結果は当選者が小沢と玉城デニーの2名のみという大敗北となり、両院合わせて4名という泡沫政党と成り果て政党要件を失ったため、山本太郎に連携をよびかけ、2014年(平成26年)12月26日に山本の加入及び党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」にすることが公表された。
これにより再び政党要件を取り戻したものの、2016年(平成28年)年には同年の参議院選挙にて改選予定だった2人の議員、まず主濱了が家族の介護のため出馬せず引退することを表明し、さらに谷亮子も出馬せず一端政治から退くことを表明。参議院選挙で生活の党公認で当選したのは青木愛1人。そして「野党統一候補」として出馬した同党系の2人のうち、木戸口英司は生活の党の議員として、森裕子はしばらく無所属で活動することに(党名変更後の2016年(平成28年)11月に自由党所属となる)。
2016年(平成28年)に党名を「自由党」に変更。なお、山本太郎は自由党所属のまま、政治団体「山本太郎となかまたち」を別に立ち上げる事にした(小沢一郎はこれを認めている)。自由党は民進党や共産党に比べて野党らしさが強く出ており、加計学園や森友学園問題では彼らが力を入れたおかげで安部一強に風穴を入れる事が可能になった。
明仁上皇の生前退位問題では上皇を尊重する為、特例法に対して明確に反対し、採決の際に退席した他、他の法案でも牛歩戦術にて彼らの支持を次第に取り付けている様である。その為か、政党支持率の割には印象が強い政党である。
加計問題、山口敬之による伊藤詩織さんのレイプ事件等、野党共闘でアベ友関連の問題を批判しているのも特徴となっている。
2019年4月、統一会派を組んでいた玉木雄一郎率いる国民民主党との合併を決定。山本太郎は「山本太郎となかまたち」に代わる自身の政治団体「れいわ新選組」を立ち上げ自由党から離脱、小沢一郎をはじめとした残るメンバーは国民民主党へ合流した。
国民民主党合流時点での所属議員
元議員、主なメンバー
- 谷亮子(2016年7月任期満了)
- 主濱了(2016年7月任期満了)
- 佐藤公治(後に希望の党に移籍し小選挙区で当選後、現在無所属議員として国民民主党会派に所属)
- 平山幸司
- 藤原良信
- 三宅雪子
- 広野允士
- 山岡賢次
- 畑浩司(民進党に復党後、希望の党に移籍。)
- 小宮山泰子(民主党に復党後、民進党・希望の党を経て現在国民民主党に所属。)
- 平山幸司
- 玉城デニー(現在は沖縄県知事。)
- 岡島一正(後に立憲民主党へ移籍し比例復活で当選。)
- 樋高剛(第48回衆議院選では希望の党公認で出馬。)
- 鈴木麻理子
- 村上史好(後に立憲民主党へ移籍し比例復活で当選。)
- 真白リョウ(第48回衆議院選では希望の党公認で出馬。)
- 末次精一(第48回衆議院選では希望の党公認で出馬。)